2023.1.7 32年半の沈黙を破る!東武乗り鉄“原点之地”の記憶と上手くいかぬイイトコドリ③ | たいちょ〜の心のつぶやき 第2章

たいちょ〜の心のつぶやき 第2章

『縁は、連結する』鉄道など交通を中心に興味の赴くままに、日々呟き語るブログ。
※最近すっかり鉄道ルポタージュ化してますが、言いたいことを素直に言うという意味でブログタイトルは変えてません。


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拙ブログをお読みいただきありがとうございます。
ひとつ前のブログがかなり読んでいただいているようで、改めて関心の高さを感じております。

こちらのブログでは、折々に感じたことに関して時折厳しめの意見を投げております。
どうか他人事と思わず、個々が今後の行動に活かして欲しいと切に願っております。

さて、ここでは1月7日旅の続き。

快走を続けるスカイツリートレインは群馬県内に入り、懐かしの街・館林へ。

ここから32年半ぶりに東武佐野線へ入っていく。

無論、直通運転で入っていくことは初めての経験である。

直通列車は5番線に入り、ここから徐行でゆっくりと佐野線へ渡っていく。

これまでの1800系や200系による定期「りょうもう」も同じように渡っていったのだろう。

現在は通常は1日一回のみ、500系「リバティりょうもう」が乗り入れるのみとなっているほか

後述の理由で、東武鉄道の全車両や東京メトロの一部路線の車両が最後に通る道になっていて…


館林駅構内の配線は、なかなかに独特である。

3・5番線ホームの伊勢崎側に、切り欠き式で小泉線折り返し専用の4番線が存在する。

一見で来た人にはちょっとわかりづらい配線かもしれない。


そんな複雑な配線を通り、車両基地を左手に見ながら、ゆっくりゆっくり佐野線に踏み出した。


佐野線内は単線となり、グッとローカル色が増していく。

その風景は、思っていたよりもあの頃よりそんなに変わっていないようである。

ホームに水飲み場も残されているようだし、サイン類以外は古き良き頃を維持しているようだ。


だが最初に乗った時は、3050系の比較的新しめの車体にもかかわらず冷房が無く、下回りでは

吊り掛け駆動の重々しい唸りが響いているという相反する落差に、当時11歳のどちらかというと

まだ野球少年の方が割合が強かった自分はwいたく驚いたーという強烈な記憶が残っている。

(とか言って、既にこの時の小学校の鉄道研究クラブでは部長を務めてもいたのだが)


折しも時期的には、西武鉄道で西武球場観戦にほぼ毎回もれなく利用していた多摩湖線351系が

引退したばかりの頃で、全く記録していなくて残念な思いをしたということもあったから、この

栃木・群馬旅を経験したことが、鉄道趣味スタンスの大きなターニングポイントになっていく。


そして…渡瀬駅を過ぎてしばらくすると、右手に留置線群。


運用を外れた20000系の中間車や…


内装を撤去されて“もぬけの殻”に化してしまった10000系が停車しているのは…

渡瀬駅側線、昔でいう“北館林荷扱所”である。

ここで、東武鉄道の電車は最期を迎える決まりになっている。

ここまで東武線を自力で回送し、パンタグラフを下ろして長い車歴に終止符を打つ。

10000系は先頃廃車になった東上線の11004Fで、まさに解体の真っ最中だったのだ。

(現在は解体作業は全て終了)

そして、20000系はアルピコ交通上高地線に譲渡される予定の車両だ。


また、この“北館林荷扱所”、最近は東京メトロ日比谷線03系、同半蔵門線の8000系の解体や…

関東近郊の大手私鉄等の車両解体も一部請け負っていることでも知られている。

線路が繋がっている東京メトロ上記2線以外は、車体を半分に切りトラックで陸送されてくる。


そして、この11004Fに隠れていたのが、この前日に廃車回送された6050系6162F・6173F。

リバイバルカラーも遂に廃車が始まり、東武鉄道所属車はいよいよ風前の灯である。


…思えば、32年半前にこの場所を通った時には、貨物列車も発着するヤードだった。

そしてこの時に解体待ちしていたのは…しかも既に一部機器を外されて寂しい最期を迎えようと

していた特急型電車は、1720系デラックスロマンスカーだったのだ。

時期的には100系スペーシアが運転開始したばかりで、1720系の廃車が始まった事は鉄道誌で

情報を把握してはいたが、この時のこの僅か少し前に浅草駅で現役で停車していた姿を見た直後

華やかな特急電車の終焉を3050系の車内から見た衝撃は、当時は中々大きいものがあった。

しかも葛生からの帰路の時には、ボンネットも外された無残な姿を晒していたのだった。


…ただ、同時に解体そのものに関する興味も惹かれてしまうからまた気難しいもので…


そんな記憶も引き出される、32年半ぶりの東武佐野線の旅。

しばらくして、渡良瀬川を渡る。

もれなく森高千里の歌が頭の中を流れたのは、世代故致し方ないことでw


そして、ただただ長閑な田園地帯を駆け抜けていく。

この長閑さと、利用客が年々減っている苦しさか、日中は最大1時間以上も間隔が開く。

特に館林発基準で9時台の運行が無いなど、なかなかに厳しい状況に陥っている。

ローカル電車もかつては4両編成だったが、今では2両編成のワンマン運転が基本のようだ。


…そんな長閑な佐野線内で、座席を向かい合わせにできず悲しそうな家族連れに声を掛けた。

せっかくだからと、家族写真を撮ろうと提案してシャッターを切った。

このことが、少しでも良い思い出になってくれているといいのだが。


…と、田島で一時停車。

14:37から約3分余り、列車交換のための運転停車であった。

やってきたのは、8000系の2両編成。


更新・ワンマン化改造された10000系2両編成が居ると聞いていたが、亀戸線・大師線運用車と

同じ8000系で希少性は無かったが、色は3050系と変わらないからなんとなく懐かしい。


さらに佐野市駅では、時節柄な看板にも出会う。

だが、佐野線の本数が少ないので、アクセスとして機能しているかは不明。

いずれにしてもこの旅の目的は、というか鉄道旅全般、参拝が目的になったことが無いw


市街地を大きく回り込み、JR両毛線を一度乗り越し…


またまたガスタンクが見えてくるとwいよいよスカイツリートレインの旅は終わりへ…