さて【未現像のフィルム】シリーズは、あくまで未現像のフィルムが発掘され現像・データ化を
済ませることができたものだけ、気まぐれに紹介してみようという趣向。
それが無い時は、当然ながらやらないシリーズなので、予めご承知おきのほどを。
しんどかった時期の、一服の癒しが旅。
そもそも2006年となると、今のように鉄道のイベントにはまず参加していなかった時期。
イベントというとまずライブが基幹というかほぼ全てを占めていて、ごく稀に友人の出る舞台の
観劇に行ったなんていうこともあったが、鉄道趣味は月刊誌の購読とライブに伴う遠征、それに
付随してあちらこちらに足跡を記す…程度のものに過ぎなかった。
仕事が忙し過ぎたのもあり、今みたいに特定の形式を追ったりすることも、甲種輸送を撮るのも
この時期はほとんどやった形跡が残っていないのである。
…程度のものと言いつつも、この年は開業したばかりの富山ライトレールや、甲子園に行く途中
廃線間近の桃花台新交通に立ち寄り、帰路は寝台急行銀河、とかなかなかなこともしているが。
富山なぞは上越新幹線〜北越急行線経由「はくたか」に乗り継ぎの頃で、往復で8時間ほどかかり
対して現地に滞在できた時間は僅か4時間程度と、文字通り弾丸だった記憶がある。
なので現在のように、鉄道タレントとの交流も絡めてのイベントへの参加に舵を切っていくのは
漫画「鉄子の旅」を知った2007年、つまり翌年以降の話である。
さて、三島に12:46に到着し、再び東海道線へ。
今度は三島始発の普通浜松行き…この頃はロングラン多かったのかな?
またまた113系に当たり、この時は実に113系との当たりが強かったらしい。
13:00に三島を発車し、またまた24分のショートトリップ。
着いた先は…
となると、やはりここ。
今年5月にも訪問している岳南電車、当時はまだ岳南鉄道と呼ばれていた。
この時のブログにも経緯を記しているが、ともかく訪問は十数年来の懸案の初訪問であった。
着くとなぜかこの角度から、改札を見たくなる。
今に比べるとグッズ類の扱いは無かったようだが、佇まいは今とほとんど変わらない。
岳南鉄道ホームに入ると、当時現役のED402が通電状態で停車していた。
実はこれについて、何故かED501が停車していたという記憶が片隅にあった。
こうした記憶は、歳を重ねるごとに捻じ曲がってしまっていることが折々にある。
しかし、やはり写真というものが確固たる証拠を残してくれる。
だからこそ、撮り残すという行為は欠かせないのだ。
記憶にしっかり残っていたのは、機関車の運転台を覗き込んだことだ。
その一端も、しっかり撮り残してあった。
1両だけの、かわいい電車が入線してくる。
この時点で既に、7000形と8000形に置き換えが完了。
そのあたりのラインナップは、9000形が加わった以外は今もほとんど変わらない。
ただ、貨物列車は惜しまれつつ2012年3月のダイヤ改正で姿を消した。
消滅直前に撮影に行く計画も立てていたが、諸事情により行けずに終わっている。
そして、13:42に発車、岳南線に足を踏み出す。
まだまだこの頃は、ワム380000もバリバリの現役だった。
しかし、主役の撮影対象になることは一度もないままだった。
そして、岳南富士岡にやってくると、構内にED501や5000系が!
これらの姿に触発され、後刻立ち寄ることを決める。
そして、乗り鉄のセオリーとしては、やはり乗り通したい。
幸い、全線走り通しても9.2km、所要時間20分。
14:02、岳南江尾に到着。
ずっと東海道新幹線の車窓からも気になっていた小私鉄の終着駅に、ついに降り立った。
駅の佇まいは、今とそんなに変わっていない。
無人駅なのも当時からだった。
ただ、トイレは仮設のものが置かれていたらしい。
この時は折り返し時間が14分あり、十分ゆっくり滞在することができた。
最近塗り替えられたという8000形が留置されていた姿も変わらず。
利用客が少なく閑散としてはいたが、貨物列車も走っていた岳南鉄道はまだイキイキしていた。
しかし、ここから6年も経たずに貨物輸送は全廃、厳しい時期に入っていくことなる。