ムーンライトながら、運行終了に寄せて | たいちょ〜の心のつぶやき 第2章

たいちょ〜の心のつぶやき 第2章

『縁は、連結する』鉄道など交通を中心に興味の赴くままに、日々呟き語るブログ。
※最近すっかり鉄道ルポタージュ化してますが、言いたいことを素直に言うという意味でブログタイトルは変えてません。

今日、JR東日本JR東海は、今年春の臨時列車に関する報道発表で、東海道線の東京〜大垣間に

設定されていた夜行臨時快速「ムーンライトながら」号運行を終了することを発表しました。

 
2008年11月5日水曜日、東京駅にて(夜)
 
2009年3月のダイヤ改正で臨時列車に格下げされて以来、早12年。
このコロナ禍で、昨年夏からすでに運行は取り止めになり…
いずれはこの時が来るだろうことはかねてから覚悟は決めていたけど、いざこの報を聞くに及ぶと
一つの時代が終わった実感が強く沸き、返す返すも残念であり、寂しくなるなぁ〜…
 
とは思わない。
 
あぁ、やっぱりか、まぁそうなるよなというのが、いち鉄道趣味者としては偽らざる本音。
2009年3月ダイヤ改正で定期運行終了→臨時列車格下げの際に、JR東海があっさりと373系を外し
(東京〜静岡間の普通列車運用は2012年3月改正まで存続)
またJR東日本乗り入れに関わる保安装置も撤去したと聞いた時点で、もうJR東海は「~ながら」に
関しては積極的ではないんだろうな、というのは薄々勘付いていた。
まぁそんなことは、他の皆さんも重々承知なんだろうと思うので、ここで改めて書くことはない。
定期運用終了前に感じたあれやこれやのことも、他で十分語られている様子だから割愛する。
 
ただ、プレスリリースに書かれていた
 
お客さまの行動様式の変化により列車の使命が薄れてきたことに加え、使用している車両の
老朽化に伴い、運転を終了いたします。
 
という部分の「行動様式の変化」については…
それはコロナ云々によるここ1年くらいの急速なものじゃなくて、自分自身が年齢を重ねるごとに
身体はキツくなっていたし、自分で仕事をするようになって少しばかり予算に余裕ができてくると
寝台急行「銀河」東海道新幹線への移行が進み始めた…というのが大なるところだ。
特に東海道新幹線の威力はすさまじく、前夜21時過ぎ迄に東京駅に着けば当夜のうちに新大阪まで
行ってホテルでゆっくり入浴して休み、翌朝からはフルに動けるわけで、夜行列車をわざわざ使う
意義が相対的に低くなっていったのは、もう15年以上前から隠しようがなかったのが実情なのだ。
 
ただ、特に10〜20代の頃の貧乏旅行では臨時大垣夜行を含めて重宝したのもまた動かせない事実。
幾度か少ない時間を有効活用して大回り旅行をしたり、朝の名古屋始発の東海道新幹線乗り継ぎを
敢行するために使うパターンもあったりと、なんだかんだと事あるごとに利用していた。
 
なにより自分にとって、人生初の夜行列車利用はかくいうこの「ムーンライトながら」号。
本格的な遠征旅の原点たるこの列車の完全消滅は、やはり特別に感慨深いものはある。
それは、もう少し時間が経ったら少しずつ実感が強くなっていくのではなかろうか。
 
2008年11月6日木曜日、豊橋駅にて
 
2009年1月6日火曜日、東京駅にて(朝)
 
2009年3月3日火曜日、大垣駅にて
 
改めてざっくりだが振り返ってみると、特に2008年から2009年については折々に寸暇を見つけては
旅に出ていて、その関係でなかなか頻繁に利用していたみたいだ。
0系新幹線惜別を兼ねた九州の旅、飯田線縦断の帰り、そして、房総半島から明知鉄道へ…
ことに最後の2009年3月は、半ばごしつけのようにお別れ乗車の趣だった様子。
 
だが、その反動か臨時格下げになってからは全く利用しておらず、185系も乗らずじまいだった。
いざ乗ろうにも、微妙にスケジュールが合わなかったりして…
まぁそれらのことや、一番最初に乗った1996年の時のことは追々に書いていければいいかな。
とにかくも、溢れ始めたさまざまな記憶をうまく流しつつ、今目の前にあるものも抜かりなきよう
記録し続けていくのもまた、自分の使命だろうと捉えている。