ひとつのモノレールが“一旦”62年の歴史に幕を下ろした。
上野動物園モノレール。
正式名称を東京都交通局上野懸垂線。
上野動物園の東園と西園を結ぶ、日本初のモノレール。
1957年12月17日に開業以来、途中3回の車両置き換えや設備を改修したりしながら生き永らえてきた。
僅か330mほどの路線ながら公道等※を跨ぐことから鉄道事業法に準拠した鉄道の路線であり、鉄道趣味者の
全線乗り潰し(完乗)の扱いを巡ってよく挙がる(つまり、取り残されやすい)路線であった。
また、フリーきっぷ類の対象から外れ、ICカードも使えないいわば前時代的な路線でもあった。
※開業当時は、都電の専用軌道を跨いでいた
さて、自分も意外にこの上野モノレールに初めて乗ったのは比較的に近年のことだった。
こうなった理由はいくつか存在する。
①幼少の頃、連れてきてもらったらしいが乗らなかった
両親に聞いてみると、まだ物心ついていないくらいの頃に上野動物園に行ったことがあったらしい。
だが、モノレールは混んでいるのを忌避したからなのか、乗らずに終わったとの由。
そういえばうちの両親(特に父)は基本、行列がとても嫌いなクチだったからそれは大いに納得。
だが、よくよく考えてみればそれだけじゃなかろうと推察した。
②実は大の高いところ嫌いだった
今だったらあまり気にしなくなったが、基本的に昔から高いところは苦手だった。
現に幼少の頃、よみうりランドの大観覧車で大泣きしている写真が残されているくらいだ。
両親はそのことを考えて、モノレール乗車を意識的に避けたのではないかと推察できる。
③そもそも、動物がそんな好きじゃないw
実はこれこそ、上野動物園に行かなかった最大の理由になり得ること。
今でこそ飼い犬を溺愛しているが、昔は本当に動物には無関心、無くても良いくらいの扱いだった。
実際上野動物園に行ったのは上記一回きりだったらしいし、幼稚園での移動動物園イベントもとても嫌いで
すごく不機嫌そうに仕方なく写真に収まっているくらいだから、筋金入りだったんだろうw
それだけに、家族で動物園に行こうなんて話は以降挙がることすらなかったのだった。
④高校の頃、上野界隈は歩きづらかった
で、高校生になって上野に通うことになるのだが、そもそも通常下校時間から閉園時間まで長くない上に
あんまり界隈を歩いていると生活指導に捕まるとか言われていたからw近づきすらしなかったのが真相。
フィルムを買いに京成上野駅向かいのヨドバシカメラや、今はなきマックでおやつを食べたくらいかな。
実際、上野公園の園内に行くのは年1回の部活の訓練程度に限られていたし、公道上から撮影した記録すら
残されていないので、当時は見ることすら意識の中に無かったと推察できる。
…そんなことで、前置きが長くなりましたが。
結局まともに乗ったのが、30過ぎてから。
2011年8月、上野界隈の鉄分補給スポットを巡る小企画を友達親子に案内した一環だった。
なかなか思い出すことができず、ブログの過去記事を探しに探し、ようやく発見!
…それくらい、自分の中でも影の薄い扱いだったらしい。
しかもその時は、混雑の影響もあって東園からの片道だけ乗って終わっている。
そしてそこから時は流れ、再び俄かに注目したのが1月の運行休止発表の時。
ところが奇しくも、その直後から車両故障で一ヶ月半余り運休となり、すっかり行くタイミングを失い…
気がつけばもう10月、運行休止まで一ヶ月を切っていた。
いかん、そろそろ行かねば!
そう思って腰を上げたのは10月4日金曜日。
…だったのだが、実は今回、10月だけで結局4回も足を運んだ。
その辺の記録は膨大ゆえ後日小出しにすることにして、まずは31日最終日のドキュメントを。
関係者の話では31日は3,000セットと都営交通らしく多数準備されていたそうだが、15時頃までになくなり
乗車記念カードの台紙だけが余ったので、以降最終便までは記念ステッカーの配布に切り替え。
また通常回収されていた乗車券は、検印担当の係員が改札で持ち帰りの申し出に対応していました。
終始立ち席不可の定員乗車を遵守し通していたから、致し方のないことであったけども。
このため終始混雑していた駅とは裏腹に、列車内は比較的ゆったりしたものでした。
こんなことから、通常のさよなら運転で陥りがちな酔狂な騒ぎになることはなかった。
ある意味酔狂だったのは、同じ列車に乗ったママ友さんグループの子供以上のはしゃぎっぷりくらいかなw
それすら微笑ましくなって、思わず同調してしまうくらいのものだったんだけど。
そして、ラストランは予定より20分ほど遅れの17:00頃に。
やはり通常のさよなら運転のような酔狂な叫びはなく、粛々と見送って終了。
一角で起きた拍手は動物園の係員達によるもので、いかに上野動物園の象徴として愛されていたかがわかる
最後の走りになりました。
しかし11月24日までは、引き続きこの東園駅で展示公開されることが決まっています。
その後の処遇はわかりませんが、これまでの走りは関わった人すべての記憶に刻まれることでしょう。
そして、上野動物園モノレールはどうなるのか。
いまや東京都交通局式とも言われる唯一無二のシステムになり、他社との互換性もない。
維持にかかるコストを考えると、黒字経営であれどこれ以上の存続は難しいと考えるのが筋ではないか。
また再び新しいシステムを作るとは思えず、このまま廃止となっても致し方ないのかもしれない。
寧ろここまで持ったのは、動物園のアトラクション的立ち位置をうまく構築できたからこそ。
今後どのような結論が出るのかはまだわからないが、幾度かの廃線の危機を乗り越えてここまで走り続けて
こられたことに対しては、感謝の思いを出しておきたい。