【90's DOOR 019】あー夏休み'95②Youは何しに新宿へ? | たいちょ〜の心のつぶやき 第2章

たいちょ〜の心のつぶやき 第2章

『縁は、連結する』鉄道など交通を中心に興味の赴くままに、日々呟き語るブログ。
※最近すっかり鉄道ルポタージュ化してますが、言いたいことを素直に言うという意味でブログタイトルは変えてません。

1995年8月。
高校の【自由課題】の一環(分かる人には分かろうが、こうしておこう)で、新宿に通う機会があった。
通っていた高校ならではの恒例課題で、自分は8月1日から10日まで実際に業務に就いた。
やはり好きと実際に仕事をするのとでは訳が違い、不測のトラブルや緊急事態に手を焼く事案が頻発して
大いに面食らったし、その経験は現在の仕事スタイルにも大きな影響を受けている。

…本当は自宅から近い立川に行きたかったんだけどね。
枠が少なくて選に漏れ、確か第2希望だったっけかな。
共に課題をこなした仲間はいま、どこでどうしているのだろうか。
そして、いま現役の人達、自分らの後の世代の人達は

9日目のお昼ご飯は、うなぎ弁当

という伝統はまだあるのかな?w

1995年8月1日、火曜日
そんな初日に。
やっぱり自分は神経が図太いのか、きっちりあれこれ記録を残しているのが今となっては解せないw
気持ち早めに家を出て、集合する時間までカメラ片手に新宿駅構内で撮り回っていたみたいだ。

もともと新宿は、父方の親戚の都心の拠点が新宿区内だった経緯もあって縁はあった。
プライベートで家族で映画を観に来たり、食事に行った記憶もある。

ただ、この時に至るまで意外にも新宿駅での撮り鉄はあまりしていなかったらしい。
高校進学で通過するようになり、乗り降りが面倒だからかあまり積極的になっていなかった様子。
もっとも、このタイミングを境に新宿でもチェックすることが僅かながらに増えていった。

最初に撮ったのは、埼京線の205系。
ちょうどこの年の9月に開業10周年を控え、運用車両にステッカーが付き出したところだった。
前面にスカートが付いていないスタイルもまた、懐かしい。

幕張区の183系。
都心まで通っているとまだまだ見る機会は多くあり、意外に記録に残っている。

そしてこの頃のポイントは、都心にDE10が単機で走っていたことだ。
まだ飯田町に貨物駅がある頃で、その輸送に関連して中央快速線のDE10の姿が日常だった。
設定時間の関係上あまり記録には残されてないが、往時の貴重なカットだ。

そしてこの時、なんと「カートレイン北海道」が撮られている。
どんな経緯で撮ろうとしたかは、まるで記憶や記録にも残っていない。
すでに業務に就いていて、休憩の合間にでも撮りに行っていたのだろうか。

改めて調べてみると、この頃は浜松町〜白石間を走っていたらしい。
ただ起終点以外では基本乗降不可だったり、供食設備が付かなかったのが当時は不便に感じたりで
廃止まで一度も乗ってみたいとすら思うことはなかった。
万が一乗りたいとせがんでみた所で、車のサイズが合わなくて乗れないオチだっただろうし。
後々明らかにするだろうが、途中で降りられないのはかなり苦痛に感じていたかもしれない。

それでも【貨客混結】の独特のスタイルは、なかなか目が惹かれるものがあった。
ただ乗用車が5ナンバーサイズまでしか載せられず、3ナンバー車の普及に対応しきれなかったり
JR会社間の運賃分配を巡って、火種を残して存続の道を閉じられてしまったのは残念ではあった。

8月2日、水曜日。
215系はすでに「ホリデー快速ビューやまなし号」でおなじみの存在ではあったが…
朝の「湘南新宿ライナー」で走ってきた姿を見たのは、この時が初めてだった。
それでもなお、この通勤ライナースタイルに乗ったことは、記憶が確かなら今に至るまで全く無い。
中央線系統のライナー列車に慣れた身には、グリーン車以外は狭苦しさを感じるんじゃないかな。

8月3日、木曜日。
こんな団臨?にも遭遇。
EF65PFの牽引で現れたのは、ノーマルな12系客車6両。
甲子園臨にはまだ早い時期だったけど、なんの目的だったんだろう?

185系は新宿界隈ではレアな存在。
そんな中で毎朝、黒磯から宇都宮線を「新特急なすの」が上京してきていた。
ヘッドマークこそL特急マークがあったが、この時にはすでに一日1.5往復の様相になっていた。
しかし、この年12月1日ダイヤ改正で列車名が東北新幹線那須塩原発着の各停列車愛称に召し上げられ、

おはようとちぎ
ホームタウンとちぎ

という妙ちきりんな名前に変わり、最終的に2010年12月ダイヤ改正まで走っていた。
利用は好調だったようだが、最後は湘南新宿ラインの増発の波に押されての廃止だったらしい。

8月4日、金曜日。
そして、251系スーパービュー踊り子。
こちらは設定当初から新宿・池袋発着があり、基本ラインは今なお変わっていない。
変わったのは車両の塗装と、なにより新宿駅全体の雰囲気であろう。

8月5日、土曜日。
そして、週末になるとレジャー列車が増える。
こちらは大船からやってきた臨時特急「きよさと・かいじ」小淵沢行き。
前回も載せていたが、新宿でも撮っていた。

今も毎週“大多摩”へのレジャーにアクセスを担う「ホリデー快速おくたま・あきがわ号」。
この頃はオール201系で、武蔵小金井配置の分割編成が限定運用されていた。

そして、やはり新宿でも撮っていた「ホリデー快速ピクニック号」
前回、それも一週間前に撮ったばかりで、編成も同じなのだが。
この日に限っては様相が異なり、甲府・河口湖方にはヘッドマークがついていなかった。
方向幕も白幕のまま。

結局、このままのスタイルで発車。
相当ドタバタしていたのか、新宿方も方向幕は「回送」のままだったというレアショットでした。

そして、7番ホームに入線してきたのは…「あさま」?!

いやいや、房総へ直通する臨時特急「ビーチインBOSOさざなみ」だった。
ちょうど入線する時に幕変換しているからだったが、なんとも妙ちきりんなレアショットとなった。
国鉄色スタイルの「あさま」なんて、リバイバル運転を含めても結局この時しか撮れていない。
但しこの時は189系ではなく183系1000番台だったけども。

8月6日、日曜日。
時々中央・総武緩行線で見られた201系900番台。
この頃はすでに2分割され、先頭に出る機会はなくなっていた。
それは結局後年に京葉線に転出し、廃車されるまで変わることはなかったのでした。

そして、団臨以外に多客期に臨時急行として走っていた「パノラマエクスプレスアルプス」が。
高いグリーン料金が学生身分にはネックになって、ついぞJR時代に乗ることは叶わず。
それでも後年、3両編成で運用できるスタイルが強運を引き寄せ、第3の働き場所を見出すことに。

…さて、残り4日の記録は一部小田急線で撮った以外は残されていない。
さすがに日々の業務に疲れていたか、飽きたかのどちらかかなw
それでも、今で言うゲリラ豪雨やシステムトラブルでてんやわんやした事以外は比較的平穏に終了。
良い経験はさせていただけたなと、その感謝は24年経とうとしている今もなお尽きないのでした。