さよなら立川バス拝島営業所・2000年冬?頃の営業所と車両たち | たいちょ〜の心のつぶやき 第2章

たいちょ〜の心のつぶやき 第2章

『縁は、連結する』鉄道など交通を中心に興味の赴くままに、日々呟き語るブログ。
※最近すっかり鉄道ルポタージュ化してますが、言いたいことを素直に言うという意味でブログタイトルは変えてません。

立川バス拝島営業所の廃止にあたって。
今からさかのぼること18年ほど前、国立営業所が廃止になった際に、度々拝島を訪れて写真を撮っていた。
その少し前(1999年の国学院大学線廃止)からバスの写真は少しずつ撮っていたのだけど、のめり込むほど
撮り始めたのは、国立営業所廃止による車両の大規模転配があったからだった。

かつて立川バスには、営業所によってある程度一般路線バスのメーカーが固められる傾向があった。
上水がいすゞと三菱、拝島と瑞穂が三菱と日産ディーゼル(2000年時では瑞穂から日産ディーゼルは撤退)と
ある程度の営業所カラーがそこから読み取れたものだ。

そして、国立は1999年に導入されたノンステップバス1台を除く全車がいすゞ。

その国立が廃止になり、車両は路線を割り振った上水と拝島にほとんどが転属していった。
ごく一部、当時存在していた横田にも行ったらしいが、写真が一切発見できず詳細は明らかでない。
中でも異色だったのが、当時は三菱と日産ディーゼルしか配置していなかった拝島に多数いすゞ車が転入し
それまでの配置原則が完全に崩壊したことだった。
(いや、そもそもそんなものは無かったのかもしれないが)
よって拝島最後の配置になったH715号車まで、拝島営業所に国立の面影が見られたのでした。

…さて、そんな転属があって賑やかだった頃の写真を、先の鉄道写真発掘のドサクサで発掘(笑)
確か2000年の暮れだったか、それとも年が明けていたか?
アルバムにも収めていない状態で、どこにもメモを残していない。
この頃は鉄道写真にしても「撮って満足」の状態だったらしく、或るショックを引きずったままの抜け殻な
自堕落状態(それは現在も然程変わらない説あり)だったようで、なんとも情けない限りだが。

当時は一日乗車券なんていう気の利いたものは無かったので、拝島駅から撮り始めたらしい。
2000年前後の主力だった、三菱エアロスターのツーステップ車。
しかし主力と言っても、このモデルチェンジしたタイプは14台のみだったが。(894〜906・911)
後ろの多摩バスもまた懐かしい。

そして、この国立営業所廃止のタイミングで登場したのが新会社「シティバス立川」。

Kという所属標記が消滅した代わりに新たにCが登場し、561・562・566・567の4台が移籍した。
後年の一時期、シティバス立川への委託車はCHとなって、なかなか賑やかな時期があった。

そして、拝島営業所へ。
三菱エアロミディの中型前後扉車も居たし、当時の主要形式を網羅した群を抜く規模の営業所だった。

当時は事務所に来意を告げれば、出入りするバスに気をつけてと言われ構内に入るのを許してもらえた。
左から元国立のキュービックだったH638、拝島生え抜きの日産ディーゼル車H559、元国立のH672。
富士重工製の車体はシャーシによって違いがあり、車両番号の頭の数字によって区別が可能だった。
(1→日産ディーゼル中型、3→いすゞ中型、5→日産ディーゼル大型、6・7→いすゞ大型)

検修庫内で整備を受けていたH664号車。
国立にあった7Eの前後扉車6台のうち、廃車→ミャンマーへ輸出された665以外ではほとんどが拝島へ移籍。

拝島に在籍していた5Eは、全て日産ディーゼルの500番台。
2000年10月時点でH558・H559・C561・C562が残っていた。

当時の最古参車だったいすゞキュービックのH630号車。
1985年式で、車体メーカーがIKコーチになる前の川重車体だった代物で、当時では最後の銀サッシ車。
すでに製造から15年を越えた経年車で、先のH638と同年式(1986年)や1988年式車すら廃車がある中で
国立時代に施されたバンパーのみ黒塗装化された姿で、拝島に転属してきた。

もっとも、定期運用に入ることはごく稀(というか、あったのか?)だったようで…
その後は立川競輪の送迎輸送に入った姿しか見たことがなく、2002年頃にはひっそり姿を消していった。

新呉羽車体製のH857号車。
後部標識灯が角灯化されたアンバランスな姿だった。
このスタイルはやはり14台ほど(855?〜869)走っていたようだ。
国立廃止の際に瑞穂から859号車が転属、唯一の多摩200ナンバーになったのが注目だった。

当時の立川バスには、こんな特定用途車もあった。
何故か箱根登山バスの旧カラーだったのがまた異色だった。

そして、旧国立で貸切運用にも対応した通称「ワンロマ車」。
国立にはキュービック車体の641と7E車体の666の2台があったが、641は移管前に廃車。
666が拝島に移籍し、途中CH化されつつも2003年頃までは生き永らえていた。

この時は、5Eで立川に戻ったらしい。

立川駅北口にて

一番大好きだったキュービックが、拝島で走ったのは2年ほどだったか。
地元の音高線に入ってくる機会は激減していたけど、立川駅では最後までよく見かけていた。
そんな思い出も、そろそろ忘却の彼方に向けて走り去ろうとしている。