2月15日最終日。
身体は限界近いが、やっとの思いでホテルを引き払い新大阪へ。
また前日に続き雷鳥を迎撃するため、荷物を預けホームへ。
するとコンコースには
九州新幹線N700系「みずほ・さくら」の座席が展示されていました。
左・グリーン席 右・普通車指定席
思い思いに座り心地を試す人もチラホラ。もちろん自分も!!→記事
…運転開始してから、実際いつ乗れるかわかりませんからね(^-^;)
国鉄末期に運転を開始し、485系の直流化改造(→183系)やリニューアルを経て
今日まで来ましたが、今回「こうのとり」に名前が変更になることになりました。
実は「こうのとり」の愛称は「北近畿」設定時に選択肢の一つに上げられていたことが
あるため、四半世紀を経てようやく陽の目を見ることになりました。
そんな「北近畿」を見送ってしばらくすると、寝台特急「日本海」が到着。
結局この三日間、悔しいほどにほぼ定時でした(苦笑)
そして、「こうのとり」に投入される287系が試運転でやってきました。
3月改正から、山陰方面へのアクセスが変わります。
線路は3線しかないですが、中央・総武線を見ているような錯覚に陥ります。
国鉄時代は2~3色の混結はよく見られました。
中央・総武線各駅停車や南武線で走っていたのが幼心の記憶にあります。
穏やかに時間は過ぎていきます。
今回の旅で確信したこと。
細かい形が変わろうとも、国鉄形は国鉄形だ
ということ。
もはや走り続けてくれるだけでいい。
その元気さを確認するだけで、自らの気持ちも穏やかになれる。
こちらも3月改正で撤退する「タンゴエクスプローラー」を撮影。
かつては京都発着で、中学の修学旅行の折に目撃した記憶があります。
宮津線の転換から21年、もう長い間丹後方面への観光列車として君臨してきましたが
時代は流れ、大きな転換期を迎えようとしています。
また関西には必ず行く。
早ければ、夏の終わりにも。
その時にも、同じ風景がそこにありますように。
母に手を引かれて、新宿~巣鴨間。
大雪で不通になるのも時間の問題、という時でした。
埼京線でも一度だけ。
1990年4月8日、人生初の青春18きっぷ旅。
新宿→川越間を乗り通しました。
八高・川越線もその時が最初。
こちらは自宅から近いせいもあり、幾度となく利用しました。
103系という形式自体は国鉄最大の多数派形式でありましたが…
ひとつひとつの車体色、それぞれに確かな思い出があります。
その思い出に今もなお浸れる唯一の場所、関西。
だから自分は関西が好きで居続けられるのです。
好きやねん、関西!!
また必ず行きます。