発熱のデドックス後に浮上した感情ですが、
私は失敗やみっともなさ、恥ずかしい思いというのを死ぬほど恐れている事に気付きました。
みっともない思いをする位なら死んだ方がマシ・・・とさえ思っていました。
何気に完璧主義者だったようです。
完璧主義という言葉は適切ではないかもしれないですが・・・。
失敗してはいけない、という過度のプレッシャーを自分にかけていたようです
そうなったのは、自然にそうなった訳では勿論なく、育った家庭が失敗が許されない環境だったからだと思います。
許されない・・・といっても、罰等がある訳ではありませんが、言葉の暴力というものがありました。
かといって、私自身両親に愛されずに育った訳ではありませんが、家の中にはストレスの種が沢山あって、要は一番弱い立場だった私がそのストレスをぶつけられた~という感じでしょうか。
しかし言われて黙って我慢している大人しい子ではなかったので、反抗期はすごかったですが、でもかといって不良になったり暴走族に入るようなキャラではなかったので(学校では、良い子で通っていたので)、反抗期といっても言い返して自分の部屋に籠るって感じでした。
でも、どんなに言い返しても、言われた言葉というのは胸を突き刺し、ものすごく傷ついてしまっていたんですね。
私は家では別として、外では一応真面目ないい子でいました。
補導されたり、何か警察のお世話になる事は皆無でした。
何か問題があって親が学校に呼び出されるという事もなかったし、
成績だって、すごい優秀ではないけど、決して悪くもなく、あまり健康ではありませんでしたが、何かの病気という訳ではなく、部活動も真面目にやっていて、今思えばとても育てやすい子供だったと思うのです(ある意味ごくごく普通の子だったのですが)
それでも、常に上を上をという感じに期待をかけられ、例えテストで99点を取っても何故100点取れないのだ!と怒られ、いつの間にか委縮した人生を送る事になってしまいました。
何せ母親から褒められた記憶がないのです
で、失敗する位なら、何もしない方が安全
という人生を歩んでしまったのです。
しかし これはとんでもない間違えである
と今更ながら気付いてしまいました。
間違えというか、全然生きていて楽しくないですよね、こんな守りの人生。
みっともなくっても、大恥かいても、ノビノビ自由に思いっきり泣いて笑って生きていった方が楽しいって事に気付き、
みっともなくってもいいんだって初めて自分に許可が出せた気がします。
大恥かいても、それを恐れて何もしないよりは、マシだなぁって。
そうしたら、随分気持ちが楽になってきて
本当は、この人生はワクワクする冒険の場であり、何でも好きな事ができるのに自分で自分を制限してしまうのはものすごい勿体ないし、クリエイティブでないな~と思ってきました。
その事に気付け、
やっぱり、発熱のデドックス効果は絶大だったようです(≡^∇^≡)