頭隠して逃げるには誰だ | ちゃかのブログ

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 昨日のブログで私は、産経や、読売などの大新聞、共同、時事などの通信社などが知りながら避けてきた看過することの許されない重大なことを述べた。それが、先の大戦を敗北に導いた、悪名高いダンピングと円安株高を誘導するアベノミクスは本質的には全く同じものということである。何故このように同じ政策に走るのか、しかも国を破滅に陥れるような危ない政策に国を引きずり込んでおきながら、素知らぬ顔して済ませようとするのか。安倍首相も、それをはやし立てるマスコミや、われこそは知恵者、知識人と自負する評論家たちはこのことに関しては口を閉ざす。終戦後、子供ながらよく聞かされたダンピングという言葉、日本人を軽蔑するずるいジャップというと決まって出てきたダンピングという言葉を思い出す。しかし今、アベノミクスをダンピングの一種として語るものは、経済学者をはじめとして誰一人としていない。私にはその理由が分からない。私には二つの違いが見当たらない。


 ダンピング…世界がジャップと呼ぶ時に、決まって使われる日本人を軽蔑する言葉のナンバーワンである。終戦後子供ながらに何度も聞かされた言葉である。先の戦争を引き起こしたのがほかならぬこのダンピングであるとよく言われた。その時の日本人の反論は、日本は資源が乏しく必然的に、輸入に頼らねば生存できない国ということ。輸入によって生じたマイナス分は輸出によって得た収益でカバーするほかないので、結果的に、過度に輸出に偏重することになり、相も変わらず、日本を極度に安売りする輸出偏重の政策が続けられるというわけである。この政策は何故軽蔑されるのか、それは、輸入材料高から、やがて手詰まりに追い込まれ、武器弾薬を使って資源の略奪に走らざるを得なくなるからである。これが中国への侵略、韓国の植民地化であった。他国への侵略なしに存続できない国。それが日本ということは世界にはもはや通らない。この体質と体制こそ日本が再三再四言われ続けている構造改革への要求である。


 安倍首相がしたアベノミクスは、これを拒否し日本の侵略を再度宣言したと受け取られても弁解の余地はない。過度に輸出に頼る体質の改革こそ日本の急務な課題である。輸出立国と称して、安易に輸出に偏り、その主力となる、財閥や、大企業にべったり依存するこれまでの体質や体制。これを捨てて、生まれ変わらない限り、日本は世界において孤立する他はない。にもかかわらず、安倍首相は、アベノミクスを持ち出して戦争か破滅の選択をしたのである。これからますます日本は、ジャップといわれ軽蔑される。この体質と体制の下では、国内においては、一部のものが自国の他の国民を支配し、国民一人一人の権利や生活は無きに等しい扱いがされる。これが明治維新に始まり財閥や傘下の大企業が薩、長、土、肥出身の官僚とともにこの国に築き上げてきた体質と体制といえる。この体質と体制は、人為的につくりあげられたもので。これなくしては日本が存続できない性質のものではない。戦後の民主主義や平和国家の建設こそそれであった。それに逆らい、自民党政権は、戦後も絶えることなく連綿として続けてきた中央集権政治。これがすべてのがんで、戦前、戦中はこの体制を維持するため警察や軍隊を総動員した。これが戦時体制であった。若者が海外の彼ら財閥や大企業の経済シェアを確保するために戦争に駆り出され、戦死した。全ては、世界に彼らの支配を確立するためであった。日本が存続するためではなかった。日本には他の選択をする可能性が残されていたからである。それは、国民の内需を喚起し、豊かにさせ、個々人を尊重し、その成長を喜び助けることで達成される。これこそ日本が敗戦で連合国に突き付けられたもの、民主主義と平和の実現であった。これに対するものは、破廉恥な竹中平蔵らが画策する、労働者の首切りを自由にして奴隷として企業に捧げる、民主主義を根こそぎ奪う人殺しも平気でする、あののっぺらな顔のような反憲法政策。安倍の顔も同様である。

 

 金しか関心のないものの顔つきは、薄ペラで吹けば飛ぶような、紙の札に似てくる。そこから底なしに愚かで破廉恥で残忍な政策が出てくる。これが今の自民党の顔である。ずるそうに目が輝くが、人間としての豊かな表情がまるでない。金にどっぷりつかり金に心を売ったものの顔である。 こうした在来の体質と体制が無くならない限り、日本の存続は達成されないことは明らかである。この体質や体制そのものが、人間の尊厳や個人の尊重と相いれない性質のものだからといっていい。安倍首相の言動がすべてこのことを語って余りある。これが戦後になっても残存したがため、連合軍による民主主義と平和の要求はことごとく退けられ、ここにきて、戦前のダンピングに等しいアベノミクスの登場となったのである。輸出攻勢によって世界を支配することがまるで強い日本を回復するなどというまやかしの政治がまたもや始まったのである。これは、この体制

が存続する限り繰り返される。


 さて、世界を戦争の泥沼に引きずり込むこの体質をなくするには何が必要か。今考えるべきはこのことである。ダンピングや円安誘導をしないで世界と共存、共栄を図るにはということで始まったのは、日本の独裁的政治体制を根本から変えること、即ち、民主主義と平和の実現であった。しかし今これにも赤信号がともっている。安倍首相が政権を奪取し、財閥や大企業と再び結託し、戦前同様、ダンピングに等しい円安誘導を仕掛け、財閥、大企業べったりの現体制を強化、保持する政策を開始したからである。これにより、今日本は、民主主義と平和の実現すら否定され、独裁体制に近い中央集権的全体主義政治に強引に引きずり込まれる事態に迫られている。このいわばアリジゴクから逃れる道は、一つ、個人の尊重即ち豊かな創造性の回復である。企業とも関連することでいえば、新しい製品、技術の発明、開発と改良である。日本は、先の事情から、資源不足の国であることは間違いない、従って資源を輸入に頼ることは避けられない。先の大戦では、資源不足や輸入によるマイナスをカバーするため、武器や弾薬による侵略に活路を見出した。私はこれを止むを得ないこととは思ってはいない。それは十分避けられた。


 それが個人の尊重と創造性の増進、開発である。戦後始まった民主主義と平和は、正に個人の尊重、創造性の促進であった。今日個人の知的所有権を認め、これを高く評価する制度が各国で確立され、大小を問わず企業は、斬新な発明と発見により、製品を開発改良して、人々に喜ばれる商品を提供することにより産業の成長を図る道が開けている。私は、特許の英語翻訳者だから言うわけではないが、企業にはそれによりダンピングや、円安誘導によらなくても成長できる可能性が大きく開けているのである。確かに個人を尊重し、創造性を喚起、促進しそれを製品の開発や改良に結び付けることは、武器弾薬を使って他国を侵略することに比べれば、時間や費用、経費の掛かる迂遠なことのように思われることであろうが、民主主義や、国際平和の方向に舵を切ることで、互いに血を流す残忍な戦いや競争よりもより豊かな国家の実現に貢献できればこれに過ぎる喜びはあるまい。これが、世界の共存、共栄の第一歩になりうると私は確信する。これはオリンピックも同様である。オリンピックによる多大な利権をめぐってまたもや財閥、大企業と、薩、長、土、肥出身の官僚が、暗躍しだした。これを見ると、この体質や体制が如何に根強い反逆的で、御しがたいものであるかをあらためて知らされ震撼させられる。日本はこのままでは、矢張り破滅しかないのか、反対方向に舵を切り続ける安倍首相の一日も早い退陣を願わずにいられない。


 最後に民主主義について一言、主権在民も含めて、民主主義とは、国民が選び、政治をするものが選ばれる制度だとアゴラの誰かがニューズウイークの日本版とやらでいっていたが、民主主義についてそれだけの認識しかない人がいまだに日本にいるのは驚きだ。民主主義の基本は、個々人が最大限に尊重されることと私は理解している。選ぶと選ばれるでは、金と頭数とだましがものをいう。これがお得意な安倍某が首相であるのはそのためか。しかし、民主主義は、人間である個人が、金よりも尊ばれるから、財閥や大企業の横暴を抑えることができる。安倍首相のような拝金主義者は、金と結びついた財閥や大企業と結託し民主主義を否定するしかない。同様にまたまた’天皇の金塊’を持ち出し、その威力が世界を支配しているかのように語る御仁も現れた。ここでも金が人より優るという。これも心得違いだ。憲法上象徴であるべき天皇が金で世界を支配できるはずがない。しかもその金、日本が過去の日清、日露戦争など一連の侵略戦争で巻き込んだ相手からふんだくって隠していたものという。これを聞いたら天皇はどうお答えになられるか、ぜひ拝聴してみたい。先に皇族の事務官とやらに1000万円も騙し取られた私。しかも事故で死んだ息子の死亡補償金、金金金は聞くだけでうんざり、見せられたら卒倒する。


 しかし、そうはいっても今現在日本に降りかかっているのは、隣国中国の軍事力の増強とその威力である。一旦彼らの軍事力が火を噴けば、日本は火の海になると脅される。そうなれば日本の米軍基地は、ことごとく中国のミサイルで破壊され、米軍は日本から逃げ出す。民主主義と平和どころでないと喧伝される。これに対するこの国の軍備強化こそが急務という。過去の遺物のような自衛隊の幕僚長が登場、国民に決断を迫る。桜井某子のキーキー声が響く。こうなればオリンピックは消し飛んでしまうはず。なのにその莫大な利権をめぐって、醜い奪い合いが始まっている。その危機感はまるで見られない。茶番?の空騒ぎということも。 さてこれに対して貴方はどうこたえる。中國はそこまでして世界を敵にするだろうか。私は、これこそ、財閥、大企業と薩、長、土、肥の官僚が現に画策する、強大に膨張した軍による日本列島支配と見ている。財閥や大企業の製造する武器弾薬は、中國に攻撃される前に、この国の国民に向けられ、膨大な利益を生み出す算段といえまいか。これこそが、いま密かに進められている日本列島乗っ取り計画とか。今本当に欲しいものは、あくまでも人間として生きようとする 民主主義と平和。このままでは、これを破壊しようとする、権力に屈し人間であることを捨てた独裁共産、社会主義との存続をかけた対決となる。軍配はどちらに上がるか。それに先立つ嘘丸出しの欲深との戦い。それに逆らうものは、首相とはいえ退陣あるのみである。怖がって逃げだすことではない。ここまでいうかとあきれ顔のネットウヨの声が高まる。裏にちらつく小沢一郎の赤ら顔。何を狙って暗躍するのか。残念ながら金には出番はない。


 さらに驚きは、最近のブログに対するペタの数、多いのは一日26もある。今日も今までで15である。私は既に76才民主主義と平和を守りたい一心でこのブログを書いている。単なる安倍批判ではないつもり。同じ気持ちの人がこんなに多くいるか、本当に心強い。もしみんなが、’憲法9条にノーベル賞を’に賛同し、署名してくれるなら、本当にうれしい。このように書くと決まって減るのが、ペタの数でもある。これほどとりとめのないものはない。でもそうしたい気持ち分からないわけでもない。