お騒がせ3種の神器トップ5 | ちゃかのブログ

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 今の世は、正に民主主義と平和の時代と私はそれを大切にして生きてきている。ところが世の中にはそれを気に入らないお方がらっしゃるようで、憲法改正とか、秘密保護法とか持ち出して物議を醸していらっしゃる。こうした方々が政治の舞台に登場すると決まって持ち出すものそれがお騒がせ3種の神器トップ5である。第一位の教育勅語をはじめ、皇国中心の偏向歴史と教科書、戦争と靖国神社及び在郷軍人、神道と特権神社さらには、官僚の特権意識及び薩、長、土、肥の中央集権政治と並ぶ。いずれも民主主義や平和を損ないかねない代物であり、憲法では否定されているものばかりである。このようなお方は、何故このようなものをすぐ持ち出したがるか。それが今最大の問題になっている。というのは、内閣総理大臣その人がこのようなお方だからである。民主主義や平和、個人の自由や平等といえば、そこに制限を加えたがるのがこのような方々の特徴。何かといえば権威を持ちだす。


 まず決まって出てくるのが、道徳と称して、修身、その基本となるものとして教育勅語。朕思うにとはじまるあれのことである。戦時中我々を散々締め付けたあれである。今の文部科学大臣のしようとしていることを見れば一目瞭然である。個人は自由にすれば何をするかわからん、まず教育によりしばりつけねばといいたがる。国民にとっては余計なお世話。それには、手っ取り早いのが道徳、道徳さえ叩きこんでおけば、国民を赤ん坊の時から死ぬまで拘束し縛り付けることができるというわけ。本音は要するに他人を縛って支配したいということである。教育勅語を持ち出したら次にすることは、その中心である天皇を崇めたてることを教える日本建国の歴史となる。天皇といえば明治天皇から始めなければ具合が悪い。その前は、何百年にもわたって武家が政治を支配していたからである。そこで、尊王攘夷の明治維新の価値づけが始まる。これをするのが歴史の偏向であり教育である。明治以来、戦争を含め如何に日本及び天皇は、正に教育勅語の示すような正しい、正義や平和を求めるお方であり国であったかを歴史を使って得々と示そうと気張る。第一に、日本にとっては侵略戦争はありえないと説く。侵略戦争はありえないから、当然、戦死した軍人は天皇と御国のために戦って命を捨てた尊い方々にされ、それには英霊としてあがめるための場所として特別な神社を設けるべきと教えられる。これが靖国神社である。ここで靖国神社が登場し、ここは一国の首相が参拝することは責務の一つにされ、戦死者や在郷軍人の有難さが強調される。こうしたことはすべて、民主主義により、身分や階級から解放されて自由や平等を認められることになった、個々人を管理、支配するための誰かによるたくらみなのである。


 その中心となってきたのが、明治以来の官僚といわれる人々である。日本の政治即ち国民は、こうした官僚と呼ばれるものによって牛耳られてきたのである。この国日本では、正にこの官僚が政治を牛耳り、中央集権政治を確立、天皇を中心とする専制君主国家を樹立してこの国を神の国といって神ならぬ人間様が管理支配してきたといっても過言ではない。彼らは事実上天皇を操り、裏で財閥と結託して世界の経済的支配を企て、財務省、経産省をはじめとして、特許庁などの

各省庁、経団連などの外郭団体に至るまで蜘蛛の巣のように張り巡らされた国の組織の隅々まで勢力を延し、この国を管理し支配し続けてはばからない。中国、韓国をはじめとする世界諸国の侵略を画策してきたのもこれら官僚と軍部である。その最たるものは岸信介である。侵略の魔の手は、中國の満州にまで及んでいた。しかし戦争に敗北、挫折した後も、懲りることなく、反省することなく、捲土重来を狙ってさらに何かと画策する闇の軍団でもある。官僚の中心は、明治維新を先導した、薩摩、長州、土佐、肥前など鹿児島、山口県、高知県、佐賀県の藩士とその出身者である。現に安倍首相は、山口県の出身、山口県からは、初代の総理大臣伊藤博文をはじめ安倍血族の岸、佐藤など総理大臣を輩出している。彼らのほとんどは、反民主、反平和でこり固まっており、この国では、彼らからの解放無くしては、真の意味での民主主義や平和は、実現しない。これは、板垣死すとも自由は死なず。といわれた板垣の自由とはまるで関係ない。子供の時血をわき踊らされた、鞍馬天狗のような維新の志士たちとも縁もゆかりもない。戦後我々が手にした民主主義と自由は、こうした自由民権運動とも全く関係ない、国民個々人の自由と平等である。これは戦後になって初めて、実現可能になった、真の自由と平等である。明治維新の志士をはじめ、日本の建国に参集したものたちの大半は、立身出世と権政欲かそれとも狩り集められたか、いずれにせよ人権、自由、平等など民主主義や平和などより高い志や意識で集まったとは考えにくい。その後の彼らの動きをみると、そのほとんどが、安倍首相のように同県ゆかりの三菱のような財閥や大企業べったりで利権、利権で這いずり回り、国民のことなど考えもしないものが多い。兎に角この国の国民は薩、長、土、肥の尊王族の魔の手から解放されない限り民主主義や平和の実現はありえないと思っていい。いずれにせよこれらの出身者は、政権をとるとこのトップ5の3種の神器を持ち出し、国民の自由を奪い支配に走る恐るべき者たちである。特に先の大戦の敗戦後は、この傾向が根強くなっている。これまで安倍首相がしたこと、憲法改正などこれからしようと画策していることを見ればすべては明らかである。


 もう一度言う、今は民主主義と平和の時代である。人やいたずらな権威に支配されない時代のはずである。ところが、人の中にはそれを好ましく思わない人や、金に目をくらまされて自らこの上ない価値のあるこうしたものをまるでゴミ屑のように捨てる愚か者も大勢いる。特にネトウヨなどFXなどアベノミクスでひと儲けしようと財テクに群がる、戦争を知らない若者に多いのが困りものである。こうした愚か者は、金を掴んだら自分がまるで自由になったような錯覚に陥る。これこそがまるで民主主義のお蔭とばかり。しかし金で身を売ったものは、金で身を滅ぼすのである。選挙で安倍首相のような、根っからの反民主主義、反平和主義者に、輪転機で刷った金の威力に騙されて、円安、株高の掛け声にあおられて狼に政権を渡してしまった痴れ者である。実は、この円安株高政策こそ、日本を先の戦争で敗北に導いたといわれる財閥、大企業を潤すはずであったダンピング政策そのものである。ダンピングは、鉄鋼など日本の製品の価格を極端に下げて海外へ売りつけること、では円安株高は、輪転機で刷った紙幣をばらまくことで、円そのものの価値を下げ、結果的に製品の価格そのものを極端に下げて世界に製品をばらまくことで、本質的には戦前戦中に日本が仕掛けた悪評高きダンピングと何ら変わりがない。それを支えるのが、専制君主制のような民主主義を捨てた強制的な独裁政治。その結果は、先の大戦にみるとおりである。いずれ世界から孤立するのは目に見えている。


 しかし、景気回復や株高というだまし絵に踊らされて、民主主義や平和ぼけがまるで悪いことのように思い込まされ、政権を奪われてしまったのである。後でその付けを払わされ、苦い思いをしても、後の祭りである。それが今の日本の状況である。これは若者も年寄りも何ら変わるところがない、金に目をくらまされたものの愚かさというほかはない。金のために人間であることを捨てたものの末路であるというほかない。待っているのは、奴隷のように働かされ酷使され捨てられるということである。円安は、輸入品の価格をあげる。ただでさえ材料を輸入するしかないこの国が安い材料をどうして手に入れることができるか。戦争と盛んに安倍首相が繰り返している海外援助のようなだましによる原材料の収奪しかないのである。奴隷のような酷使と戦争、正に先の大戦と同じ結果が待っているとはいえまいか。既に労働基準法にまで手を伸ばし解雇の自由を画策しているのは誰で何のためか考えてみるがいい。禿鷹に身を売ったのである。その結果起きる騒動を警察、特に公安、元の特高警察、軍隊を使って弾圧、鎮静したのが先のダンピングが招いた悲惨な結末。特に警察の暴走は始末が悪い。彼らは卑劣なことでも平気でやり、関係のない家族の命まで脅かしたという前歴がある。既に元特高警察の課長正力松太郎が社長として率いた読売新聞の社主渡辺恒夫が、特定秘密法に係わり会議の座長になった。


 これは全く危ない、民主主義の牙城の一角が、壊されかけているということではないのか。 これからどうなることやら思いやられる。肝心なのは、良い製品の発明や改良で、ダンピングや円安誘導など小手先の業に走ることではない。安易に小手先で世界を操ろうとするから、結果は世界に笑われ見捨てられ破滅する。この愚かな反逆の繰り返しをこれからもしようとして、安倍は爪をとぎ、真の民主主義、平和の受難時代がこれから始まる。すべては無駄である。血が流されるから無駄では済まない。これすべて誰かのお蔭である。それは誰か言わずと知れている。人間であることを捨てたものすべてである。金は必ず代償を求める、血を流すという代償を。ただ人間を捨てるだけでは終わらせない。iすべては、血に飢えている者の仕業である。人類の歴史が、それを教え警告してきた。財閥、大企業、 薩、長、土、肥連合のの強欲どもは一度つかんだものは、死んでも離さないという強者であることを忘れてはいけない。特に、彼ら官僚は、一旦チャンスをつかむや、天下りを繰り返し不死鳥のように蘇るまるでゾンビのような得体のしれない存在である。特に今の何とか党にたかっているオリンピックを食い物にしようとしている元首相のような古狸の恐るべき政治家たちに多い。要注意である。


 言いたいことは言ったのでこれからは英語のこと書きたいが、今は止めておく。これまでの苦労が、水の泡になりそうだから、良き時の来るのを待とうと思う。しばしの間時間を頂きたい。本音はあのまくしたてる英語を聞き続けるのは、心臓に響くということと、特にがなり立てる歌の内容がくだらなさすぎるということがある。これ以上聞くのは時間の無駄に思われてならない。ニュースだけなら新聞で十分。