昨夜は、夏至&満月の エネルギーワーク燦燦と 開催しました^^
ご参加頂いた皆様、本当にありがとうございました
今回は、久々と言うこともあり、
18時~22時までの長丁場!
最後は、皆さんクタクタで、放心状態に近かった
半年ぶりに行った、CHAKAのワークを 心待ちにしていてくれた方もいらして、
嬉しかったです^^
スポーツのように、カラダを動かすわけでは無くて、
体操のように、えっちらおっちら 動くわけでも無い。
それなのに、クタクタになって、
脳が働かなくなってくる。。。 という副作用があります www
思考断食、エゴ断食 とでも言いましょうか?
え? 今まで、いったい 何をがんばってたんだ? って 感じになります。
初めて参加された方の中には、
鳩尾がバリバリに固まっている方もしらして、変化の容量が今後楽しみな方もいらした。
カラダに委ねる、
エネルギーの流れに委ねる。
この体験は、様々なブロックを解除していく。
久々、大勢な方と行った エネルギーワークは、
CHAKAにとっても、滝行にも似た エネルギー行でした^^
次回は、秋分の日近辺に予定しています(CHAKA主催のワークはね)
3人以上で、エネルギーワークは行っております。
少人数ですと、より 細かいアドバイス、また チェックが行き届きますので、
丹田を実にしたい方、どうぞ ご利用くださいませ!
さて、最近は 算命学を改めて、学び直しの数か月を送っております。
北に龍高星を持ち、西に玉堂星を持っていることを、最近は改めて実感するものです。
ということで、算命学の成り立ち、思想の原点を見直しているところです。
★根源と人生
精神と肉体の感応と、根源と個人的人生の相関は、対極的な相対論であって、個と道に関しては道の普遍性と個の有限性は明確に区分けされている。
『木が枯れてしまうのは青青たる生の力(精気)が木から去るからだ。木に生を与えているものが、どうして木そのものであり得よう。あたかも身体に充ちているものが身体そのものでないのと同じである。それ故、生きるものに生を与える当のもの(精神)は決して死ぬことはなく、生を与えられるもの(万物)こそが死ぬ。』
道と呼応して人生があり、その上で、主役であるのは道であって、本体の人間ではない。しかし、道と人間は呼応関係にあって、同根である。この原理を悟ることが聖人の生き方になる。
つまり、生きている僕たち(木)が主役ではない。それを僕たち(木)たらしめている精気が主役だということ。このことを含んでおくと、人間社会の価値観だけに縛られることから解放される。
これは、占う時の姿勢としても大切なことだと思う。
占う側が、人間的、社会的価値だけで宿命を判断すると、主観的、通俗的な答えしか導き出せなくなる。
主役は陽占(表に出た姿)にはなく、陰占にある。
宿命を動かしている天の意志を知るという気持ちを底辺においての宿命解読が必要になる。
『天下を軽いと見なせば、(人間の)精神は煩(わずら)うことがない。万物を小さいと見なせば、心は惑うことがない。死生を等しいと見なせば意志は挫けることがない。変化を同じ価値と見なせば、明知は眩(くら)むことがない。』
以上は、師(青龍先生)の塾生記事より、抜粋したものです。
CHAKAの脳をどかしてみると、上記の意味が 明晰に理解できているのだと思う。
自然は・・・・
剛柔の変化にしたがって、屈伸し、
陰陽の動きに合わせて 昇降する。
人間は・・・・
自然の原理を変化させることが、できる。
そう、人間は 次々と自然の原理と思われてきた境界線を、突破してきている。
そういう意味で、CHAKAは、算命学の位相法、天中殺、宿命中殺を 別角度から見る癖がついてきた気がする。
何と言っても、CHAKA自身が、宿命二天中殺持ちであるから。
これを、どう燃焼させていくか。。。。。 を 研究中だからなのだ。
算命学との出会いは、
青龍先生との出会いは、
この、「精気が主役」 という感覚が
CHAKA自身の、今までのエネルギーとココロとカラダ を理解してきた世界を証明してくれたようにも思える。
今回の、エネルギーワークは これを確認するためのワークだったように思える。
多くの点が、確信に至ったワークであった!
道と一体に生きる。
これが、生きるを愉しむと いうことになるのだよね。
あ、参加者の方が、
「ここに集まった方は、縁が強いですよね・・・」 とおっしゃっていた。
確かに、CHAKAのワークに来られる方は、
過去生の強い縁を感じます。
それも、動乱の時期の 「同志」 なのだと、いつも実感していますよ^^