昨日、今日は とてもお天気が良くて、暖かい^^
久々に、何も予定の無い 休日を迎えて。。。
Mさんと、天の川記念公園、CHAKAの大好きな場所、そして、愛犬メイの大好きな場所で、
ゆっくりと話す時間が作れた
背中に太陽を浴びながら、会話は途切れることが無い^^
Mさんは、CHAKAと「同志」である。
前世からの、過去世からの、ソウルメイトであると・・・・ 疑うことなく感じている。
いつもいつも、生命の炎が勢いよく燃焼することを確かめて、
彼女が自分の中に、突き刺す鉄の板を、粉々にするのが・・・・ 私の仕事 (;'∀')
今日も、Mさんの中の、潔い戦士が顕れた^^
良し! 行ける
CHAKAは、「祈る」 「祈り」 という言葉を良く使う。
それは、リモートビューイングに似ていると、いつも感じる。
実は、現在に未来も過去も在る。
未来を、セレクトするのだ。セレクトした未来が、そこにあるかのように広がって、感じられる。
具体的な祈りとは、
CHAKAは、中学生くらいの頃から、仏壇の曼荼羅に向って法華経を読み、題目(マントラ)を唱える習慣があった。
法華経の勉強と併せて、仏教に慣れ親しんできた背景がある。
成長するにつれ、宗教自体には違和感が芽生え、組織化の中では相容れない部分が多くなっていく。
しかし、大病をした時に、宗教や組織の壁を取り去って、純粋に生命の仏法として学び、
心身を通して、生命力が漲る体験を いくつもした経緯を持つ。
CHAKAが生命に刻んだ法華経は、太陽の仏法である。
凡夫が、人生の体験を波乗りのように楽しんでいくところに、仏を啓く瞬間を積んでいくのである。
永遠の生命観。輪廻転生。先祖代々、子々孫々の中での 自分と言う存在。
これは、自分軸の深い部分を構成している。
この背景があってこそ、陰陽五行思想も、算命学もするりと入ってきたのだと今は理解する。
音魂、言魂、形魂、を、能望やカタカナ発声、カタカムナ、フトマニ、ヲシテ文字、
ソルフェジオ音階、音叉、周波数・・・・・ とあらゆるジャンルにご縁して、理解を深めてみると、
経文、マントラは、振動そのものであると理解する。
12年ほど前に、昇龍、降龍の意識の素粒子化のメソッドを学び、同じ方から、能望を教えてもらった。その方は、能望も題目も同じである。振動だとおっしゃっていた。高速で唱えることで、右脳が活性化し、頭蓋骨のドームの中で共振共鳴現象が起こると。
みち拓きの大神様の神札を、相方は怪訝に思っていることだろうけど・・・・神仏和合が日本の文化なのだと思う。インスパイア―をスキルとする日本人の優れたところ。
CHAKAは、宇宙の営みと共鳴する存在を、宇宙は守って当然だと どこかで思っているのだ 笑
アートマンと共振共鳴する状態を、曼荼羅に向って読経、マントラの振動で整えれば、
その存在の誓いを、後押ししないわけがない。。。なんて、まさにCHAKAらしい考え方なんだけどね。 押しつけはしないので、ご安心を。
朝の、1時間ほどの祈りの時間を持つ者と、縁の無い者。
確かに、そこに雲泥の境涯の差ができてしまっても仕方が無いよなぁ・・・・と 最近感じる。
どなたの家にも、神札とか、仏壇とかあるけど・・・・
その由来を知る人は、あまりいないみたい。
本気で、境地妙合するまで 魂通い合わせてみると良いと思うのだ。
表面だけ取り繕うような時代では、既に無くなっているのだと感じる。
風の時代 とは、自分軸を問われる時代に、ますますなっていくのだと思うのだ。