ヤプログの整理に忙しく一日が終る。
夜はMSと会ってくだらない話をする。
だいぶ年下の野郎に終ってる終ってると連呼され、
ホントに終ってるな自分。
と笑いながら冷静に実感。
終ってる自分が自分らしいなら、
終ってない自分は自分になるのか?
なんてまたわけわかんない事を考える。
ただ、同じAB同士だからなのか視点の切り替えポイントが共感を得やすい。
少し、疑問を聞いてみた。
凄く的確で、見落としていた部分を指摘された。
…目からうろこってこーいう事か。
年下に言われて納得するとかしっかりしろよおばちゃんマジ終ってんな。
って言われそうだけど、本当に終ってるな自分。
本当は顔合わせするのも正直躊躇った。
このままなぁなぁにしてばっくれるのもありかな、とかも思った。
話をふわっと分散させても相手は微塵も損しないし、
むしろ得なだけで。
補正に騙されて全部を手放すのか、
補正に騙されずに半端に両方を手にするのか。
すべての責任を補正にかけようとする意地汚さに辟易。
結局は自己責任は自己回帰するだけであって、
原点の軸をずらそうだなんていう論点にすり替えは浅ましい。
誰が悪いのか?
誰の責任なのか?
常に所在をはっきりさせていなければならない話なんだろうかそもそもが。
私の選択は正しかったのか?
正しいという答えに今を導く事が出来るのか?
導く為に切り捨てるのか、
切り捨てたからこそ意地でも導かなければならないのか、
今が正しくないと誰が判断したのか、
基準はどこか、軸は何か、素材はどれか。
突き詰めていくと凄くむなしい答えしか出てこない。
発想力、想像力、思考力、頭脳の出来の限界?
あぁ、意見に意見を返してくれる人はとても貴重だと本当に思い知る。
その貴重な人種を私は本当に手放すつもりなんだろうか。
一度口をついて出たからにはひっくり返すような根性のない事はしないが、
そもそもがくだらなさ過ぎて泣けてくる。
一言、声が聞きたい。
そう思う日々はまだまだこれから先も続いていくんだろうなぁ。
意外と女々しく未練がましい自分に鳥肌。