出張+ちょいと休暇でロンドン滞在中。土日は、仕事しない。しっかり休む。

でも、アメリカ🇺🇸人父が作る感謝祭のターキー🦃には、間に合わせて帰る。

アメリカにいる父方の祖父母、ちょっと前にも会いに行った。いつもと変わらず元気だった。

でも、あと何回感謝祭を一緒に過ごせるだろうかとふと考えた。もっと訪ねよう。



先日、フォローしているブロガーさんが夏目漱石の『倫敦塔』について綺麗な文章で感想を書かれていた。倫敦塔を秋のロンドンで読みたくなった。都合良く出張。

祖父母の家に住んでいるので本棚に古い文庫でも有りそうかと探しても移動が多かった2人。全ての書籍は持って動けなかった様だ。実家にも無かった。


書店で探す。

私の中では、文庫と言えば、何故か新潮文庫か岩波文庫。在庫切れにつき、取り寄せ。

はい、私は紙の本か好き。



手に取ってみて、読んだ事が有るはずなのに短編だった!しかも40ページに充たない。

そして短編で良かった。

今では使わない単語が出て来る。調べながら読む。学生の時に読んだ記憶は、全く蘇らない😂

まずは、秋晴れの公園で読んでみた。


夏目漱石、森鴎外、島崎藤村、太宰治、芥川龍之介などなど、日本の学校で国語の授業の題材に使われて読む機会は多いと思う。

日本の学校を切れ切れに過ごした私は、読む機会が余り無く、日本で過ごした大学生の時にに集中的に読んだ。

でも、当時、私は、本は英語の方が頭に入りやすく、日本語の本は内容の大半を忘れてしまっている。

そしてイギリス人の御先祖様達の事は、当たり前過ぎてイギリスの事を最近の私の様に考える事も無かった。


うーん、文章は、美しい。

でも、難しい。

夏目漱石は、帝大、今の東京大学を卒業している。英語教師をしていた際に国費での留学となれば、相当優秀な人だったのだろう。後に作家になったそうだ。50歳で亡くなったと言う。

貧しいわけではないけれど、子供時代に養子に出され、また戻るなど、今ではなかなか無い複雑な子供時代。

結婚した奥さんは、お嬢様で悪妻の様な言い方も有る様だけど実際はどうだったのだろうか。

イギリスに行く前から漱石は、神経参ったりしていた様で繊細な方だったのだろうか。

写真なかなか見つからない。良く見るのはこれ。

          ↓


くっきり二重に鼻筋通った高い鼻。

イギリスで買ったスーツ?

カメラ目線でない写真。自身をハンサムだと思っていたのが伺える。イギリスで撮ったのかな?



新潮文庫からお借りしたプロフィール。


日本の秋晴れの空の下で読む倫敦塔は、難しい文章だと言う事ばかりが気になってロンドン生活が上手く行かない事は、まあ、人それぞれだよねと思える。昔だし、、、


どんよりした日没近いイギリスの公園で読む。

漱石が留学した1900年の9月から1902年の2月。

日が短くなる季節からイギリス生活を避ける様にと外務省が言うくらい。気分は落ちやすい。

春から行っていたら、もっとイギリス生活を楽しめたかもしれない。でも、イギリス生活を楽しめなかった原因は、漱石の人間性に有るのかもしれないと感じた。


125年前のロンドン、産業革命から数十年後、当時から既に人は多かった様だ。


1900年のロンドン、こんなだそう。


私の祖母は、ギリギリ昭和一桁。

女学校を卒業後、イギリスに留学した。

背も高く、顔も欧米人の様だったので日本人だと思われる方が少なかったと言っていた。苦労もあったはず。戦争から10年経過していても敗戦国から敵ヨーロッパへ良くも行ったものだと思う。しかも女性。


祖母は、留学生活を嘆く事は一切無かった。

楽しかったしか言わなかった。

後に結婚する祖父と出会った地。

前向きな祖母、倫敦塔を読む必要は無かったのかもしれない。


今、夏目漱石がまたロンドンで生活していたとしたら?同じなんだろうなと思う。

漱石!もっとロンドン生活楽しめよ!と言ってあげたい。

でも、100年以上もなお、自分の作品が読まれている事を知っているのかい?