ロンドンから戻ったばかりと最近、あっち行ったりこっち行ったり、時差を何度も行ったり来たりで曜日の感覚おかしく、もう感謝祭のつもりでいたら、まだ水曜日だった。
母方の祖母が亡くなったのが丁度、三年前。
そして、アメリカの感謝祭。
親戚、友人達が沢山集まった。
今年は、祖母の命日に合わせて1日早い感謝祭なのに木曜日のつもりでこれを書いていた😆
コロナの終わりが見えた頃、祖母が亡くなった。一緒に過ごせた。
その後、ちょこちょこアメリカに戻ってもいるけれど、ほぼ日本生活。これまでで一番長い日本生活。
我が家は、海外の人ばかりだからか、あちこちへの移動が多い。
祖父母も日本、イギリス、アメリカなど移動有り、近くで暮らしたり、離れたり。
一年に数回しか会えない事も有った。
祖父母が晩年を日本で過ごすと決め、私はアメリカに居たけれど、東京出張は度々有るので離れている感覚は余り無かった。祖父母の家を滞在先にしたりしていた。
祖父との最後の時間は、以前書いた。
祖父母の最後の時間を一緒に過ごせた事は、私の宝物。
だから余計に祖父母との時間を思い出しては、いまだに泣いてしまう。もっと淡白な人になりたい。
祖父母は、最後まで認知症は無く、寝たきりにもならなかった。理想的な逝き方だ。
祖母は、イギリスの大学に留学した。
日本より女性の進学が進んだイギリスとは言え、東洋からの留学は大変だったと思うが、楽しかった事をいつも話してくれた。
祖母の家系は、男女の区別なく、随分、一般家庭と違ったたそうだ。
もともとカトリックの家庭。
戦争中は、隠して生活していたそうだ。
名前、当時の家なら、男性に重きが置かれていた頃。でも、全て聖書に出てくる名前を漢字に当てたもの。聖書の知識が有る方にはわかるかもしれない。
だから、ありがちな長男だから一郎とかは無いし、女性だから子が付く事も無い。
祖母は、イギリスで祖父と出会い、留学の終わりと共に祖父曰く連れて来られたと言い。
祖母は祖父が知らない間に付いて来たと言っていた。😁
祖母は、当時にしては背が高く、顔立ちは欧米人の様だった。日本人だと思う人は少なかったそうだ。
祖母の家系、皆そんなだから、家系図に書かれていない人達に海外から来た人達がいたのかも知れない。祖母のきょうだいは、俳優にスカウトされた人もいる。俳優になっていたら、私の人生も変わっていたかも?確かに彼らは、ハンサムだ。
イギリスには感謝祭はないけれど、祖父母はアメリカ生活で経験した後、感謝祭を祝う様になったそうだ。
今年の感謝祭、祖母の命日も有り、祖父母の話しに花が咲いた。
遅れて感謝祭を祝うアメリカの父方の祖父母を招いてリモートで祝った。
後で祖母に電話した。
今も現役の研究者の祖母が今度いつ来るの?と言った。
そう言う事は、初めて言われたと思う。
気が弱くなって来たのかもしれない。
アメリカの祖父母との時間も大事にしなければ!
衣食住に困らずいられる事に今日も感謝だ。
アメリカの感謝祭は、木曜日です。
おまけ
ロンドンは、すっかりホリデーシーズン仕様だった。


