高校からの親友、いや一番の親友が逝ったあの日の不思議な出来事。
社会人になってからも、あと2人の同級生と4人で良く会食していた。
私と彼女は、ほぼ同業でお互い海外暮らしや出張が多かったのにやりくりして頻繁に会っていた。プライベート以外にも仕事上の情報交換はとても大事だった。
他の1人は、音楽評論やテレビラジオの構成などアーティスト系。所謂、業界。自分でバンドもやっている。
1人は、人生を探求して仕事しては、世界を旅する自由人。
長い付き合いながら、或る時期にギクシャクして来た。
アーティスト系、業界人としてサバサバしながらもプライベートは、めちゃくちゃ女子だった。
人が大変な時に話を聞けない。自分が嫌な時は、話題を変える。
旦那さんが予告無く、ある時から会食に登場する様になった。女性4人の会食にやって来られてもしらけてしまう。
そんな事が何度か重なり、私達3人は??になっていた。
ある日、自由人が言った。
海外住まいや出張が多い2人と会える時間は大事だから、旦那さんは遠慮して欲しい。
そして、人の話を聞きなさいよ。
それを最後にアーティスト系は集まりに来なくなった。その後も一応誘ったが、来なかった。
自分から誘わない人だから、会わなくなった。
それで良かったと思う。
そしてしばらく、3人の会食が続いた。
しばらくして自由人も来なくなった。
連絡に応答が無くなった。
人伝にお母さんが闘病。彼女は仕事を辞めて世話を始めたらしい。呑気に会食している場合ではないだろう。いつかまた会えると思い、連絡は控えた。
親友が癌になり、本格治療が終わって2人でお祝いをした。
その食事中、私のスマホに自由人からLINEの招待が来た。
2人でびっくりして電話したけれど出ない。
後でわかったのは、スマホを買替中の設定中の出来事でドコモのスタッフが間違えてアドレス帳全員に招待を送ってしまったそうだ。
でも、自由人の生存確認が出来て良かった。
そして親友の再発。
自由人は、彼女の癌を知らない。
本人が連絡していないのに私が伝えるべきではない。
ただ、急に悪化。
私が会う約束もキャンセルが続く様になった。
送ってくるテキストが日々短くなっていた。
出来る事が日々減って来たと言う。
外で会うのは難しくなったので家に行って5分会って帰る日も。
ただ、見た目には、末期と言う風には見えなかったので、そんなに先が短いとは思っていなかった。
でも、自由人に伝えなければと思った。
ある日曜日の夜、自由人に何年振りかに電話した。
私の電話番号は変わっていたのに何故か直ぐに出てくれた。予感がしたと言う。
親友の癌の話し、長くないかもしれないと伝えた。
何時間話しただろうか。
既に深夜3時を過ぎていた。
自由人は、医師なので予測が付いた。ただならぬ状況だと察して朝になったらすぐ電話してみるよ。
私は、何年振りかの電話が朝一番じゃおかしいから、旦那さんに電話して様子聞いてみるから、それを待っていてよと言った。
でも、自由人は、悪い予感がして朝7時に親友のスマホに電話していた。出ない。
自宅電話、何度も鳴らしてやっとお母様が出た。
お母様が電話に出られる状況では無かったのに出でくださったのは奇跡だった。
私達は、独身時代、お互いの家を訪問し合う仲で家族の事も良く知っていた。
終始、気丈にしていたお母様。
母は強し。
私はその朝、大事なアメリカ本社との会議に早朝から出席していた。
仕事用スマホ、プライベートスマホに自由人から何度も着信。至急電話!の留守電。
会議どころでは無い。
慌てて電話した。
亡くなったー えー
私達が電話で話していた夜中の3時頃。
明日、マンションで親族だけでお別れをして出棺すると言う。
お母様から会いに来て欲しいと言っていただいた私達。大変な時にお母様に感謝だ。
コロナ禍はおさまってきたけれど、葬儀は、家族葬が多かった。
今日会いに行かないともう会えない。
会議は人に頼み、慌てて自由人と待ち合わせ。
気遣いの彼女。既に綺麗なお花を用意していてくれた。
私達も何年か会っていなかったが、昨日も会っていたかの様。古い友人ならではだ。
私達は、自由人なんて呼んでいたけれど、誰よりも気がつき、優しい人なのだ。
どうしようかと思ったけれど、仲違いしたアーティスト系に電話した。
気まずそうに一緒に行って良いか?
もちろんだよ!
何年振りか、久しぶりに3人が揃った。
親友の顔は、穏やかだった。
そして、結婚何年目かでプレゼントされた一番のお気に入りのハリーウィンストンの綺麗なネックレスにお気に入りの洋服を着ていた。
生前決めていたそうだ。
ハリーウィンストンは、火葬出来ないから、姪御さんが引き継いだ。
彼女なら大事にしてくれるだろう。
彼女は、亡くなったおばと同じ資格を目指している。
人が亡くなるのは悲しい。
でも、疎遠になっていた人達と思いがけず再会が出来る。故人からの最後のギフト🎁だと思う。
あの夜、私が自由人に何年振りかで電話した事。
何故、あの夜だったのか?
数日前にあの日曜日に電話しなきゃと思ったのだ。
自由人が朝イチで電話していなかったら、私達は親友の死をしばらく知らずにいたかも知れない。
彼女の死をきっかけにまた3人で会う様になった。
言いたい事は言う。
喧嘩してもその場限り。
関係が強くなったと思う。
私達3人が、おばあちゃんになるまで欠ける事が無い様に健康でいたい。天国から見守って下さい。
悲しい親友の死ではあるけれど、
彼女は私にイギリス人男性との奇跡の再会と
親友達との再会を最後に用意してくれたのだ。
有難う。

