明日の朝、ロンドンから幼馴染がやって来る。近くに住む私の実家に泊まるのでゲストルームやバスルームの準備をしたらクタクタで実家にお泊まり。
両親とゆっくり話しが出来る環境は、最高!
私は両親とべったりでは無いけれど、私と同業の父は、頼りになる先輩。
祖母なき今、母は私の一番のmentorでもあり、親友だ。
幼馴染は、両親にとっては、息子みたいな存在。楽しみにしている。
話し変わって、幼少期にアメリカ🇺🇸 のボストンに住んでいた。父の仕事と勉強の為。
マサチューセッツ州、ボストンには、優秀な大学が多い。
日本でも有名なハーバード大学、マサチューセッツ工科大学、有名大学が名を連ねる。
皇后雅子様が学ばれたのは、ハーバード大学。そこを最優秀で修了され、幼少期に短期間暮らしただけなのにロシア語に堪能、ドイツ語、フランス語も話されると言うのだから、本当にすごい方なのだ思う。
Giftedな方なのかな。
彼女が楽しそうに笑う姿、長い間なかなか無かったのだと思うと残念でならない。どこか訪問された時、人に全く懐かない犬が寄って来て彼女を舐めたそうだ。犬はしっかり愛してくれる優しい人をわかるのだなと思った。もっと笑って泣いて自分らしさを出して欲しい。
ボストンは、私自身も仕事で短期間生活した場所。避暑に訪れたり、馴染み深い場所だ。
ボストンに憧れのお店が有った。
1947年にタルボット夫妻が起業したTalbotsと言う婦人服の店だ。
マサチューセッツ州のヒンガムと言う場所が発祥の地。
初期の頃は、オリジナルよりも他社製品が多かったらしい。祖母や母の古い衣類にタルボットのタグは付いていないが、確かにタルボットで買ったと言う物が今も有る。
私が知った頃には、既に夫妻は事業を売却し、アメリカ全土に広がる大企業になっていた。
ハイブランドの様に高くはないけれど、それなりの収入の方が行くお店と言う感じだ。
私も大人になったら、必ずダルボットで洋服を買うと決めていた。
店舗の外観も赤いドア🚪の中も実に上品。
祖母や母に連れられて行くたびにワクワクした。
特に好きなのがホリデーシーズン。
クリスマス仕様の店内は、実に華やか。
タルボット、一時期、日本のイオングループに買収され、日本でも出店していた。
日本では見られないスタイルは、アメリカ在住歴が有る方々に人気だった。
けれど、日本人に合わないサイズ、雰囲気、色目。
途中から日本人向けが売られる様になり、他の日本ブランドと変わらないつまらないブランドになってしまった。すっかり低迷。
アメリカ本土でもキッズやメンズなど始める迷走状態。アメリカでの方針は、イオンは口を出さなかったそうだけど、つまらなさ加減は、アメリカも同様。
業積悪化、お荷物となり、イオンも怪しくなりタルボットを売却した。
その後もアメリカでは、迷走を続けたのでほとんど買う事が無くなった。
この数年で以前のタルボットらしさが少し戻って来たと思う。
私がタルボットを初めて着たのは、高校生の時。学年の終わりにあるプロムと言うパーティで着るドレスとウールのチロリアンジャケットを買ってもらった。大人への第一歩な気がした。
ドレスは、ブラックウォッチのシルクのドレス。セクシー系が苦手な私の好みだった。着なくなった後は、母がクッションカバーに変えてくれた。今もホリデーシーズンに使っている。
ジャケットは、青みがかった紫色のウールにシルバーのボタン。年数が経ったけれど、今でもたまに着ている。
私が大人になるまでタルボットは、住宅街近くの通り沿いに個人宅の様な店舗が多く、ショッピングモールに入る事は余り無かったけれど、今はショッピングモールの方が多いかな?
以前ほど洋服自体を買わないし、タルボットの変化と共にワクワク感は減ってしまったけれど、今も好きなブランドだ。
私が出会った頃の雰囲気に戻って欲しい。
タルボット、以前は年に数回のセールしか無かった。今は、なんだかんだで一年中セールをやる様になった。
この10年で好きだったアメリカブランド3社が廃業してしまったのでタルボットには私がおばあちゃんになっても頑張ってほしい。それには、ちょこちょこ買わないとダメなんだけどね。
