ただ今、アメリカ滞在中。

メリーランドの父方の祖父母の家で子供の頃の写真を見ていてアメリカの小学校の話しを書いてみます。


私は学校生活、海外での時間が長かった。

小さな子供にとって、新しい環境は、ワクワク以上にドキドキだ。

海外生活、転校の初日は、必ず学校の入り口に置き去りにされ、先生に教室に連れて行かれた。

私の見た目は、皆と変わらなくても外国から来た転校生は、好奇の眼差しを浴びる。

しかも良く知らない日本から来た時は尚更だ。


母もそれを良くわかっていたので母が作る日本的なお弁当が転校生の私を早くに皆の仲間にしてくれた。

これは正に母の経験だ。


母は、イギリス人の父を持ち、子供時代の長くを海外で過ごしたが、日本人の母、つまりは私の祖母が作るお弁当でかっこいい転校生として有名になれたそうだ。


そんなで、私も特別な日以外は、母が作るお弁当生活だった。しかも必ずお箸🥢つき。

学校には、フォーマルなダイニングルームがあり、アメリカにしてはきちんとした食事が提供されていたが、母の許可は下りなかった。


母が作るお弁当が有名になり、説明する日が設けられた。

私は、自慢気に説明したのを覚えている。

一番の人気は、タコ🐙ウインナーだ。

塩味だったり、ケチャップ味だったり。

クラスメイトにタコ🐙ウインナーは、実にクールだったのだ。


同級生に子供が生まれ、日本的な栄養を考えたお弁当作りを続ける友人達がいる。

日本弁当の影響で日本大好き。毎夏日本を訪れている。

友人の子供達が日本に興味を持ち、ホームステイしたり、留学したりはとても嬉しい。


地域や学校にもよるのだろうが、

私が通った学校には、スナックタイムが有った。

授業の合間に学校提供の飲み物やおやつを自由に食べられた。

私は、日本製のスナックも持参していた。これも皆の人気だった。


アメリカの学校、日本の学校、随分違ったが、どちらも楽しかった。



タイトルに反するが、

小学校で何が楽しかった?と聞かれて答えるのは、日本の小学校の給食当番だ。

私が通った学校は、食堂があり、専門の職員がいたのだか、パンやバター、ジャムを配ったりするのは、子供達の係。カトラリーを並べて洋食のマナーを学ぶ。

誰かに足りない物があってはいけないと責任ある仕事を任されたと言う誇らしげな気分になれた。

人の為に何かをすると学んだ最初の事の様に思う。

自分達で教室の清掃もあった。さすがに正式な清掃は、専門の方がいらした。


私も学年が上がってからは、清掃も給食係も職員がやれば良いと思った事がある。

でも、あの経験を通して物を綺麗に使う、皆との共同作業、責任を持つ、低学年の世話をする、大事な事を学んだと思う。


アメリカなら、食堂や清掃する人がやる仕事。割り切っている。

ずっとアメリカに住んでいたら、私も食べ散らかしたまま、共用の場を綺麗に使う癖は無かったかもしれない。


日本が海外に比べて綺麗だと言われる所以、学校教育から来ているものだと感じる。本来なら、親が教えるべき事ではあるけれど、日本の学校、とても良い制度が有ると実感する。