20年前に電車で出会ったイギリス人男性から奇跡的に連絡が来てやり取りが続きました。
彼は、当時、日本の商社で1年間、インターンをしていたのでした。
大学のプログラム、
1年間の海外企業でインターンが専攻の一部でした。
同級生は、英語が通じるヨーロッパやアメリカに行ったのに彼だけ日本を選びました。
彼は、言葉が通じる国ではつまらないと考えたそうです。
結果的には、自分が気が付かなかった日本好きの芽が出たのです。
彼の日本での生活の最後の数ヶ月、
私達は、出会ったのです。
同じ駅から毎朝、同じ電車に乗る2人。
下車駅も歩く方向も同じ。
2人ともシャイで上手く話せませんでした。
彼が帰国前日に私にくれた名刺、裏に書かれた実家の住所。
そこに手紙を書いた私。
返事は無かった。
まさか、20年後に再会する事になるなんて予想もしていませんでした。
彼は、当時住んでいた私の実家の近くの大学の留学生用のアパートに住んでいた事がわかりました。
我が家から歩いて15分。
彼は、近くの公園でいつも読書やジョギングをしていたそうです。
そこは、私がいつもジョギングをしていた大好きな公園。
彼の出身地は、私のひいおじいさんと同じイギリスの町。
彼が一番好きなのは、レゴとスキー。
私も大好き。
話せば話すほど、お互いの共通点に驚きました。
20年前に電車以外でもすれ違っていたかも知れません。
彼が20年振りの日本行きを決めたのは、羽田にやってくる10日前。
彼は、丁度、7月に仕事が終わり、9月から新しい仕事。
8月は、自由な時間だったのです。
さて、夏をどう過ごそうと思った時、迷わず日本🇯🇵‼️と思ったのだそう。
何度でも訪れたいと思っていたのに足が遠かった日本。
彼も私もフェイスブックに熱心ではなかったけれど、
彼は日本に行くと決めてから私を探したそうです。
私は、顔写真や個人を特定出来る情報は載せていませんが、同姓同名が世界中に何人もいなかった事、
英語を使っていた事、
そして何より、彼も私も大好きな公園の写真を私がカバー写真にいつも使っていた事で私だと確信出来たそうです。
そして、
私がコロナ禍でアメリカ転勤が中止になり、日本に足止めされていた事、
フェイスブックは、旧姓のままだった事、
20年前に住んでいた実家が変わっていなかった事、
全てが何かに導かれるかの様にピタっとはまったのです。
でも、膝の激痛は続きました。
そんな中、彼は20年ぶりに日本にやって来るのでした。
去年の夏の話しです。
続く