昨日、イギリスでの人種差別について書いた。
片親が日本人であるハーフの方々が日本は生きにくいと書かれているのをよく見かける。
ハーフって言い方どう?
私のルーツは、ごちゃごちゃなのでハーフもクオーターも無い。
だからmishmashと呼んでいる。
見た目には、日本人と思う人はいない。
見た目に海外の容姿が強く出るか出ないかで日本人と見られるのか、見られないのか。
民族的に多様でない島国なのだから、あれこれ聞かれるのは、許して欲しいと言いたいが、ご本人にしたら大変なのは良くわかる。
私は、観光客?外国の方?と何度言われたかわからないが、全く気にならない。
そこから生まれる会話を楽しんでいる。
相手は、私を知らないのだから、聞いてくれて嬉しい。
私が持って生まれた容姿で日本が生きにくいと思った事は無い。
私は幼少期から移動が多かった生活。
一番長く住んだのは、日本とアメリカ。
最近の日本生活でトップが日本になりつつある。
父方は、イングランドからアメリカにやって来た。
母方は、日本とイングランド出身者のごちゃごちゃ。
両親に感謝している事。
日本語も英語も学ぶ教育。
私は、カタカナ英語を使いたくない。
学校は、どこにいても現地校に放り込まれた。
いや、学校の前に置き去りが正しい。
勿論、事前に両親が入学手続きは済ましてはある。
言語を混ぜない会話が一族の決まり。
母と結婚当初、日本語ができなかった父は、大変だったと思う。
父は子供と日本語で話したい一心で私と日本語補習校に通った事もある。
そんな努力で父の日本語は大したものだ。
旅行先でも漢字の書き取りをさせられた。
厳しくする母に怒り!でぶつけた事がある。
何故なら、日本語補習校は、大体が土日のどちらか朝から始まり、1日潰れる。
日本の季節の行事や日本人会への参加なども有り、
週末の遊ぶ時間やスポーツクラブの時間を削られるのだから、子供にしたら大問題だ。しかも宿題が沢山。
でも、そこで出会った日本関係の友人達とは、今も付き合いが続いている。
移動先は、欧米以外もあったが、公用語は英語だった。
正に母の子供時代の経験でもあったのだ。
母も、イギリス人の先祖を持ち、見た目で時代的に苦労したかもしれない。
私には悪い事は一切言わず、ただただ日本語に厳しかった母。
今度、ゆっくり母の子供時代について聞いてみよう。
今、ブリティッシュイングリッシュを学んでいる。
ご先祖様の多くがイギリスから日本やアメリカに渡った人達。
遠い昔に異国に渡ったご先祖様が私の一部を形成していると思うと私も歳を重ねたからか、急にイギリスへの思いが強くなった。
最近は、イギリス出張が頻繁に有るので、隙間時間に英会話のレッスンを受けている。
今日は、レッスンの後、幼馴染とPOSHな英語ごっこをしてみた。笑
今、ロンドン出張中。
いつか、イギリスにしっかり住んでみたいと思うけれど、イギリスの衛生観念などに慣れる事が出来るだろうか、、、
大好きな場所だし、戻った時に安堵感があるのは確か。
結局は、どこにいても私は、私ではあるけれど。