過去の記事の復習になるが、
わが家が全/焼するという災難の後、義姉の長男に全く別件の用事があり、
事の次第を彼には伝えることとなった。
にも関わらず、車で10分ほどの所に住む義姉と義兄、同じく小一時間の所に住む義弟、
この人達がお見舞い金を携えてやってきたのは、火/災から4ヶ月後だった。
もちろん、それまでに様子を尋ねる電話一本なかった。
義姉兄弟がお見舞いに訪れた時、私はその場に居なかったのだが、
第一声が義兄の「何で言うてこえへんねん❗」だったそうだ。
「大丈夫やったか?」でも「大変やったやろ!」でもない。
義姉兄弟以外の人達はそうではなかった。
わが家の災難を知って、いても立ってもおられない…という風情で、
主人の仕事場に駆けつけてくれた友人知人達。
その中には場所が分からず、職種だけを頼りにパソコンで検索し、
店舗を見つけて来てくれた人も居た。
私の実家に、それぞれの身内の老若男女の衣服や身の回り品を集めて、
段ボールを何箱も運び込んでくれた私の親類縁者。
その人達は、私達家族の災難に対して自分のことのように心を痛め、
私達を見るなり涙を流してくれた。
そんな私達の傷みに寄り添ってくれた心優しい人達と義姉兄弟とは何かが決定的に違う。
義姉兄弟がそれぞれ10万円ずつ、そして義母から10万円。
義母はこの頃、ほとんど何も理解していなかったと思う。
なので、義母からの10万円は義母のお金を管理している義姉の裁量ということだ。
40万円を渡し《することした》という態度が目に見えるようだ。
そして、その頃住んでいた借家に、どうしても私に逢いに行きたい…
と言う義姉と主人は激しく口論し、結局は断ったと主人から聞いた。
主人はこの口論の時、義姉に向かって
「○○(私)のお年玉の中身だけ空にするような意地悪するな!」
というような内容の事を言ってくれたらしい。
義姉は自分は絶対にそんなことしていない、と言い張ったらしいが。
このお年玉というのは、過去の記事に詳しく載せたことがあるが、
義姉の長女が結婚して初めてのお正月に、
その時集まっていた義姉兄弟と私達のそれぞれ家族全員に、
義母からお年玉を渡すというセレモニーがあった。
わが家が火/災にあう直前のお正月で、義母は事情も理解しておらず、
義姉が義母に手渡すお年玉を只、指示された人に渡していただけだ。
それまで義実家ではそんな習慣はなかった。
只ひとえに、義姉が娘婿に見栄を張る為のセレモニーだ。
その集まりの帰りの車の中で、主人が子ども達に
「パパのもママのも遣っていいから好きな物買っておいで」と言い、
袋を開封したら私の物だけ空だったのだ。
そこまでするか!と腹がたったが、主人と私はそのことについて、ほとんど話さなかった。
私が主人に対して「貴方の身内のすることは…」と怒りをぶつけることもなかった。
そんな姉兄弟だからこそ、主人は全く付き合おうとしていなかったし、
庇うこともなかったので主人に怒りをぶつけるのは筋違いだという一面もあった。
話しを戻すが、この義姉兄弟が火/災のお見舞いに訪れた時に、このお年玉の件について、
主人は義姉と口論した訳だが、私は只「口論した」と聞いただけで、
お年玉の件を話したとは、主人はこの時には言わなかった。
ほとんど付き合いのない身内とはいえ、自分の姉が私にしたことが、
私に対して恥ずかしかったから、私の前で話しを蒸し返したくなかったのだろう。
私達夫婦は……
火/災のお陰で、と言うと語弊があるが、やはりこの災難で人の温かさを知ることになり、
主人も私も生き方そのものが変わったとさえ言える。
特に主人は、それまで物事を斜に見る傾向が強かったので、
私より、より変わった。
しかし、義姉兄弟との関係だけは全く改善されなかったのには、
このような経緯があったからだ。
また、私はこの時主人が、私が義姉から空のお年玉を
渡されたことについて抗議してくれことを知らなかったが、
今は知っている。
どういうきっかけで、このことを知ることとなったかと言えば、
義母亡き後の四十九日の法要の場所で、私が義姉と真っ向対決したからだ。
まぁ、まだこの時点では義母は生存されているので、
時系列を追って書いていこう。