皆さま、こんばんは😊
突然の話ですが...
自分の周りに居てくれる人は、どの様な存在なのでしょうか。
最近の5歳の子供が亡くなった事件。
パッとテレビをつけた時に、その子がお母さんに書いた、ごめんなさいが綴られた手紙の最後の方をアナウンサーが読み上げたところでした。
事件の内容も分かりませんが、だいたい察しはつきます。
胸がぎゅーっとなったところへ、その子の笑顔の写真が映りました。
もうダメです。
胸が締め付けられて、思わず咳き込み...
テレビを消しました。
それから、テレビは観ていませんでした。
昨日、久し振りに朝のテレビを何気につけると、新幹線の車内での悲惨な事件のこと。
犯人の母親が
「息子が自殺する事はあっても、殺人をする事はないと思っていました。」と、コメントしていました。
はぁ?自殺する事はあっても...って...
そんなん思ってたなら、もっと必死になれよ💢
息子の事なのに、まるで人ごとの様...
この、母親にとって、子供とは、どの様な存在だったのでしょうか。
どちらの事件も、身勝手でわがままだと思います。
ひどく、怒りました。
苛立ちました。
しかし...
人は、何かに囚われると、自分の都合で、相手の存在する価値は変わってしまうかもしれません。
それは、 快楽だったり
お金だったり
自由だったり
ステイタスだったり
不安だったり...
5歳の子供の親や、新幹線の犯人やその母親は、この様なものに囚われて、
本来、かけがえのない存在を、耐えられないほど軽くみてしまったのではないでしょうか...
でも、
そう云う私も、充分、そんな所を持っています。
そして、充分囚われて、充分軽視していました。
気づかずに...
しかし、私は沢山の愛ある人たちの生き方に触れ、話を聞かせてもらい、教えてもらいました。
私は、自分がしてもらった事を、気づかせてもらった事を伝えていきたい。
今度は私が役に立ちたいと真剣に考えています。
かけがえのない存在を、耐えられないほどの軽さでみていた自分を知ると、自分の愚かさに、つくづく嫌気がさしますし、恐ろしくなります。
でも、その愚かさを知る事から始まるのです。
今日は、少し重い記事になってしまいましたが、決して事件の悲惨さや無念さを批判している事をお伝えしたかったのではなく、そこから感じたことを、そうだった私に何が出来るだろう。を書かせて頂きました。
皆さま、今日も私のブログを最後までお読み頂き、ありがとうございました🍀
