うつ病?・・・昭和の認識=怠け病・眠れないのは昼寝してるからや!

 

近年こそ、うつ病が現代病と称され

理解が深まってきました。

 

 

上記のことばがインスタで載せられており、

本当に分かりやすいなと感心しました。

 

単なるやる気のなさ、怠惰という言葉では

片づけられない病であることがよくわかります。

 

物凄い大好きなことをしている時、

よかったら、これさえできなくなる状態の病が

あることを少し思い出していただければうれしいです。

 

昭和時代の私が若かったころは

世間の目は冷たかったものです。

 

何もできなくなり、やる気も失せ

ただボ~っとするしかなかった

 

すでに無理をしすぎて、動けなくなり

とうとう休むしか方法がなくなってから

やっと休めるようになっても、

体や神経が張り詰め、休まらないのです。

 

いくら「もう休んでいいのよ!

休まないとおかしくなるよ」と

自分に言い聞かせても

「何かしなければ・・・」という焦燥感が

心身を支配しており、ホッとする瞬間さえ

許してくれなくなっていました。

 

家にいても居場所はありませんでした。

母親は、常に自分が優位に立っていないと

気が済まない人でしたので、私に言い返す力も

気力もなく精気を失ったようになっているのを見て

この時とばかりに、神経を逆なでするようなことを

いったりしたりしてきました。

 

そして「どや~!」とばかりに上から見下ろす態度

取って得意気でした。

 

私は正気を保つのにまた精神を使わねばならず

腸が煮えくり返るようなことばかり言ってくるのを

私は、うまくかわすことができなくなっていました。

 

発作的にぶら下がり健康器にベルトを巻き付け

首を吊ってやろうと思いました。

 

首吊り死体は、時間が経つと無残な姿になると

医師をしていた作家が書いたという言葉を読んだ

ことがあり、その姿を見せつけてやろうと思ったのでした。

 

夕方の今ならあくる朝まで、だれも見に来ないので

やるなら今や!という時間に実行しようと考えました。

 

でもその時はクリスチャンだったので、サタンを

喜ばせることになるのが悔しくて、サタンのワナだと

思いやめるに至りました。

 

後で冷静になって考えると、私の無残な首吊り死体を

みてもあの人たちは、「この野郎!親孝行もせんと

死にやがって!ちくしょう!」としか考えない人だと

いうのに気づきました。

 

それからこのままここにいては、殺される

と思い、実家を出ることにしました。

 

仕事もなく、お金もなく、家を借りる資金も

ない状態でした。

 

兄夫婦が同居するために帰ってくることに

なっており、私は家からでないといけないことに

なっていましたが、それでも家をでる援助などは

なく、裸で追い出されたようなものでした。

 

靴を脱いで入る共同トイレと風呂なしの

アパートに、「出る時に置いていかないといけない

お金だけ払うので、なんとか入れてもらえないか」と

交渉して、なんとか部屋を借りられました。

 

仕事が何とか見つかるまで、

パンのみみなどをかじりながら赤貧を過ごしました。

赤貧生活は慣れているので、別の気にしなかったのですが

仕事の際のお弁当に困りました。

 

一合の米だけあったので、それを炊き

3回分に分け、おかずは玉子焼きともやしをいれ

ました。

ゴハンは日にちがたつと、固くなり米にもどってしまい

少しの塊を海苔でかくして、食べる時は口の中でクチャクチャと

溶かしながら食べていました。

 

周囲の人に分からないようにとだけ

気を使ったのですが、変に思われていたことは

確かです。

 

銭湯には困りました。

小さな流しで周囲に分からないように

おおまかに体を洗うのが精一杯でした。

 

それからずっと自立して生活していきました。

 

ちなみに、私が家を出た時、母親は周囲に

「娘にマンション買ってやろうとおもてましてんで!

しやけど、娘がいらんいいますから放ってますねん

いかにも貧乏してるように見せたいんちゃいますか?」

 

などと言っており、私は贅沢なお嬢さんの気まぐれで

家を出て行ったに過ぎないことにされていました。

 

いろいろ愚痴りました。

ですがうつになっていたあの時に、

休められていたら・・・

そしたらこじらせなずに済んだのに・・・

 

休めない体のまま自立しないといけなかったので

私の人生のほとんどはうつの状態で過ごすことになりました。

 

うつならいいのですが、30代半ばで仕事の無理がたたり

とうとう精神的に錯乱してしまったのです。

 

兄夫婦と甥と姪たち、両親たちと

ファミレスに行った時、帰り際に

私はうっかり「死にたい!」と漏らしてしまいました。

 

「死にたいといってるうちは死なない」ということで

みんな帰っていきました。

父が最後に残り、私はふと父の顔を見上げると

父はメガネの縁から私を冷たく見下ろし

なんと薄笑いを浮かべていたのです。

 

鬼のような人たちだと知っていたのに

あんな言葉をだしてはいけない人たちなのに

言ってしまっ自分の愚かさを心底、後悔しました。

 

あの冷水を浴びせられた感覚は

忘れられないものです。

 

冷水を浴びる思いは数えきれないほどしましたが

あの時はさすがに堪えました。

 

 

いまは良く生きてきたなと思います。

その後もいろいろありました。

自己愛性パーソナリティ障害の毒親育ちは

一生消えない傷を背負って生きていくことになります。

 

自分のせいで背負った荷物ではない理不尽さを

引きずり、社会で生きていけるように、普通の人の

ような振りをしながら生きるのは

物凄いストレスだったんじゃないかと思います。

 

でも、これが普通だったので、本来の家庭や家族で

育った人のことは分からないままきました。

 

ただ本の世界やテレビでドキュメンタリーで

放送されている家族から、ストレスがないだけでなく

苦しい時に頼れる場所があるのは

なんて恵まれていることだろう?

私には信じられないことばかりです。

 

もちろん頭でわかっており想像もできるので

普通のようには振舞えますが、

味わったことがない暖かさなので、

どんなものだろうと憧れるしかありません。

 

この記事で、さも自分が可哀そうな風に記述しました。

こんな書き方をしたのは初めてですが、

この年になって人らしくなれてこれたのかなと

思うこのごろです。

 

インスタにあったうつの病気の説明から

いろいろと溢れてくるものです。

 

最後まで読んでくださったのですね。

こんな記事など読みたくなかったでしょう?

 

でもありがとうございました。