愛に飢えた戦争孤児の表情!…人懐こさの正体

 

私は小さいころ、愛に飢えていた。

だから、ちょっとでも他の大人に

可愛がってもらえるよう、いつも人懐こい笑顔をしていた。

 

嬉しそうに笑顔で近づいていくと、

「かわいい子やな~」「ええ子やな~」

と言ってもらえるからだ。

 

そうしてちょっとでも頭を撫でてもらえるだけでも

嬉しくて、自分が存在してもいいんだ、

邪魔にしないでくれる大人がいるというだけでも

自分の存在への安心感につながっていた。

 

当時はもちろんそんな言語化はできない。

 

家にいると母親の怒鳴り声や癇癪を起こす

ヒステリックな声にまみれていたのと

「どの子もいらんかった!」という

彼女の魂の叫びを聞いていたので

居心地が悪かったのだ。

 

そしていつも邪見にされる。

「ええい!あっちいけ~!」

 

昔エホバの証人の雑誌の中に

ある戦争孤児の記事が載せられていた。

 

あの組織の出版物は自分の都合のいい所だけ

切り貼りしていて、信憑性に欠けると言われているので

どこまで事実かの確証はないのだが、

その記事は、私の心の奥底にある感情を揺り動かした。

 

敗戦国の子供は貧しく、親を亡くした子供も多く

「愛に飢えた子供たちは、侵入してきた敵国の兵士にすら、

愛を求めて可愛がってもらおうとして近づいてく」

と書かれていたのだ。

 

私も同じ境遇にいたような錯覚に陥った。

 

その記事は本当のことだと

私の感覚が告げていた。

 

ほんのちょっとした言葉や笑顔を

向けてもらえるだけで

満足した気持ちになれるのだ。

 

少しの食べものでも、お腹を空かせた子供は

がっつくように・・・

 

笑顔で近づいてくる子供の無邪気な笑顔は

愛に飢えた様子には見えないだろう。

 

むしろ溢れるような愛情に満たされた幸せな子供

と勘違いされることの方が多い。

 

子供は正直だから、あの人懐こい笑顔ができる

とうのは、愛に満ちた幸福な家庭の子に違いないと

決めつけられてしまうのだ。

 

私がそうだった。

いつも周りがそういうので、

私って本当は可愛がられてきたのかなと

自分で判断がつかない変な感覚に襲われていた。

 

思春期のころは、足が太くて、顔が四角くて

渥美清に似ていて不細工だと自分で思っていた。

 

こんなブスで醜い姿で、表に出るのも嫌に

なりそうだった。

 

でも家に居るわけにはいかない。

ここから出たかった。

そして一人で生きていかなければならない。

誰も助けてくれない。

引きこもりなど、考えられないだろう。

(当時は引きこもりは問題になっていなかった)

 

そこで私は考えた。

鏡を見ていなかったら、自分の顔は忘れていられる。

ただ醜いという自覚は残っているが

まざまざと見せつけられてるわけではない。

 

相手は見せられて申し訳ないが、

人は最初は容姿に気が行くが、

やがてあまり気にしなくなっていく。

 

ブスは3日で慣れるが、美人は3日で飽きる

というやつだ。

 

どうしたらいいかを自分なりに見つけたのが

自分の容姿から注意を逸らせる苦肉の策だった。

 

ブスは笑顔でカバーする

 

ということだった。

もちろん張り付けたような笑顔は

かえって醜い。

 

満面の心からの笑顔でないと

ブスで醜いという事実から人の注意を

逸らす効果は期待できない。

 

心から幸せそうな笑顔をする表情の

作り方を学んでいったのだ。

 

それはまた、醜いものを見せられる相手に

対するせめてもの思い遣りでありお詫びだった。

 

しかし結果、期待とは別の、強力なレッテルを

貼りつけられることになった。

 

「恵まれ過ぎた お嬢さま」  ガーン

 

それはずっと人生の後半まで続いてくことになった。

たしかに一見すると、家は裕福な家庭のはずだからだ。

 

親に甘やかされ、なんでもほしいものを買ってもらえる

贅沢に育ったと決めつけられることを意味する。

 

事実は、親に搾取された人生だったのに

私の人生は、理不尽と孤独を必死で耐えることになった。

 

人からの評価など気にしないようになったが

誰にもわかってもらえないことも受け入れることを意味する。

 

それでも私は愛想よく感じよく笑顔で

人と話すのが習慣となって今も抜けない。

 

やはり今もブスをカバーしないといけない

という強迫観念があるからだろうか・・・

 

人が笑顔だからといって、

幸せな人生を送っているとは限らない。

 

たしかに、幸せを外に求めないというのは

真の幸せに至る道ではあるのだろう。

 

以下の言葉をインスタで見つけた。

 

 

笑顔に秘められた意味を知る人が

なかにはおられるのだと初めて知った。