朝ドラ《寅に翼》の

航一さんの

『死を知るのと

受け入れるのは違う』

というセリフに

心射抜かれた。


本当にそうだなぁ、

そして

皆同じなんだなぁと思ったら

また心が軽くなった。


私が

父の死を受け入れるまでの

約2年間の道のりには

関わってくれた人や

様々な本との出会いなど、

色々感謝すべきことが

ありますが、

その総仕上げ的な

大切な大切な経験。

それは

昨年秋に勇気を出して、

父との思い出が濃い

四国お遍路を

第一番札所から

巡りなおしたこと。


不思議なこともありましたし、

自分の心の変化が

とても良くわかる旅でした。


昨年約2ヶ月で結願し、

今年また

お遍路の逆打ちをしていて、

そろそろ

そちらも結願しそうです。


その前に

大切な昨年のお遍路旅を

改めて最初から思い出して、

心に納めたくなりました。

お付き合い頂けたら

嬉しいです。


昨年2023年9月9日

重陽の節句に

2巡目お遍路旅をスタート!

車遍路です。


いざ、徳島県

《発心》の道場へ


父と行ったのは

2002年なので、

ずいぶん久しぶり。


この時私は

『父は生きているから、

父の供養の旅じゃないの。

父との思い出を辿る旅なの。』と、

夫に大真面目に

言っていたのを

とても強く記憶している。


うんうんと

微笑をたたえて

横で頷いてくれていた

夫に改めて感謝した。

まだ

父の死を受け入れていない

ガッチガチの心だったな…。


そして

いざ徳島県鳴門市の

第一番札所

竺和山 霊山寺に着くと、

何だか嬉しさが込み上げてきて

心は浮ついていた。


しかし、この日

第十五番札所

薬王山 国分寺(立派!)

まで巡るうちに、

普通の旅ではない、

《祈りの旅》なんだという

気持ちになっていった。


たくさんの方々と

お寺でご一緒して、

どんなに

世の中が発展しても

《祈りたい》という

人間の気持ちは

古からずっと

変わらないんだなぁと

少し安心したというか

心が温かくなった。


まさに、

徳島県は《発心》の道場と

実感。

一旦高松へ帰路につく。