韓国ドラマ『涙の女王』が熱狂的に支持される理由とは?




記事より‥

省略


記憶喪失に陥るヒロイン、悪事を重ねまくる悪人、やたらと発生する交通事故、誘拐・監禁、ヒロインを庇って銃で撃たれるヒーロー……と、正直、後半は“韓国ドラマあるある”の詰め込みすぎだった感は否めない。しかし、本作の軸である「結婚生活」についてヒョヌとヘインがしっかりと向き合う姿を描いたことで、地に足の着いた納得感のある終わり方を迎えたと思う。


 『涙の女王』は、大恋愛の末に夢のような結婚式を挙げてから3年、“ハッピーエンディングのその先”から始まった。長く連れ添うようになると、恋愛初期の高揚した気分は消え去り、「言わなくても察してくれるはず」という怠惰な気持ちや、「こういった態度でも去ることはないだろう」という傲慢さが顔を出す。そして相手をぞんざいに扱うようになり、いつしか重箱の隅を突き合い、些細な出来事を発端に冷戦状態に突入することもある。だから、ヘインの記憶がリセットされてヒョヌと再び恋愛を始めたところで、また同じことの繰り返しになる可能性が高い。



しかし、ヘインは離婚まで至ることになった不仲のきっかけを思い出し、その件をヒョヌと話し合った。ヘインは、「大きな理由で仲違いしたとは思わない。心にもないことを言って意地を張り合い、愚かな誤解を招いた。ドアをノックするより部屋に閉じこもってあなたを憎む方が簡単だから。でもね、もうそうしない」と自己改善を表明。ヒョヌも、「僕も同じだった。君のためなら何度でも銃に打たれる覚悟はある。そういうことじゃなく、毎日のささいな日常の中で疲れて喧嘩してお互いに失望するのが怖かった。また心がすれ違って憎むかもしれないと思ったんだ。でもこれは言える。そばにいる。どんな時でも。壊れたら直して穴は防げばいい。完璧でなくていい」と正直な気持ちを話す。

2人は今後もぶつかることもあるだろうが、その都度話し合い、譲歩し合いながら一緒に歩んでいくのだろう。物語を盛り上げるために様々な悲劇をてんこ盛りにしたのだろうが、この最後のやり取りこそ、脚本家パク・ジウンが伝えたいメッセージだったと感じる。彼らの真のハッピーエンディングに、胸がいっぱいになった。

省略

主演2人の素晴らしさには、“トキメキ”を加速させられた。序盤では妻や義家族にビクビクしている少し頼りない人物として登場したヒョヌが、いざという時にヘインや義家族のために本気を出していく姿がかっこいい。それなのに、酔っ払った時は可愛く、涙を流す姿は母性を刺激するもので、そのギャップがたまらない。ヘインのツンデレっぷりも最高に可愛く、ヒョヌに抱く感想には共感しまくり。さらに、作品タイトルに違わず、あらゆるバリエーションの“涙”を見せてくれたキム・スヒョンとキム・ジウォンは、互いを想う目が本気に見えるほどの高い演技力で、現実世界での交際を疑うほどのケミストリーを生み出していた。2人が冷め切った状態から物語が始まることもあり、ドラマティックなロケーションを背景に繰り広げられる、出会い、結婚、新婚旅行、夫婦愛の再燃などのラブラブシーンは一際眩しかった。




そして、結婚や愛情に対する台詞の秀逸さが光っている。第1話、ヒョヌの友人キム・ヤンギ(ムン・テユ)の「たとえ数十年泳がなくても海に落ちれば泳げるはずだ。全身の筋肉が覚えてる。愛も同じだ。忘れたと思っても心の筋肉が覚えてる」という発言にはドキッとさせられ、第3話、「私が考える愛はこれよ。甘い言葉を掛け合うのではなく死ぬほど嫌なことを一緒に耐えること。逃げずに一緒にいること」というヘインの言葉にリアリティを感じる。このセリフは、結婚の本質を言い当てていると思う。では、ヒョヌの結婚観はどうなのかというと、「結婚とは味方同士になって同じ船に乗る。船が転覆したら一緒に死ぬしかない」と、言葉は違えどヘインと同じ考え方で、2人が一緒になったという設定が腑に落ちる。そして、ヒョヌの姉の友人による「夫と一緒に何年暮らそうが一番よかったのは恋に発展していく時よ。夫が一番素敵だったのはよく知らない時よ。初対面の時が一番」という台詞には激しく頷いたのであった。

省略


ヒョヌを監視するコンビ2人や、ヘインの秘書、ヒョヌの地元のご近所さんたちなど、主人公たちの周辺キャラクターたちが皆人間臭い良いキャラをしており、彼らの言動が、不治の病と財閥家の崩壊という二大問題の箸休め的な役割を果たしていた。先が気になる物語の面白さは言うまでもなく、主演2人が紡ぎ出した最強ロマンス、共感を誘う台詞の数々に、軽やかなユーモアセンス。『涙の女王』は間違いなく、傑作だった。