前回の記事からの続きです。
奇形児と言われて育った私






私が生まれたときの話。



母は私を助産所で産みました。

初めてのお産。
アットホームな環境で産みたかったそう。



そして生まれた私に異常が見つかり
小さな助産所では処置しきれず
すぐに救急車で運ばれたそうです。






私が生まれたのはお昼の12時35分。



先生はちょうどお昼休憩。
昼食をとっていて間に合わなかったそう。



産まれかかっていてもう限界…
先生早く来て!と苦しんでる母。



子供の私相手だったので
「のんきにお昼食べてて来なかった(笑)」
と、笑い話にしていた母ですが、

ハタチそこそこで初産…

当時はきっと不安で
それどころじゃなかったと思います。






先生が来るのが間に合わなくて
すでに半分出かかってる私…

看護師さんや助産師さんが急かして
やっと先生が来たそうです。



会陰切開は間に合わず股が裂けた母。



昼休憩の先生が間に合わず裂けたことを
母は笑い話にして文句を言ってました。



異常があり普通の胎児と形が違った私は
股が裂けても引っ掛かってしまい
さらに、麻酔もなしに切られたそう。






そして生まれた私。
リンパに異常があり

ブドウの房状の瘤がいくつもあったそう。






それまでのムードが一転、

先生、助産師さん、看護師さん、
その場の全員が急に慌てだしたそうです。



母は最初、何が起こったのかわからず、
しかし急に変わった先生方の反応に
赤ちゃんに何かあったんだと悟りました。






私のリンパの瘤は
ゴルフボール大のサイズだったそうです。






話を聞いた当時小学生だった私。

「新生児の体にゴルフボール大」
と語る母の深刻さは感じとりましたが
大変だったんだなーくらいの想像でした。



私自身、実際に出産を経験して、

新生児の小ささ、
「新生児の体にゴルフボール大」と
母が強調していた意味、

そして待望の第一子だった私…

まだ若かった母の心情や衝撃が
今ならもっとわかります…。






生まれてすぐにNICUへ。
生まれてすぐに異常が見つかり、
助産所から救急車で運ばれた私は
大きな総合病院のNICUに入りました。






3400gで生まれた私。



「未熟児に囲まれてでかい体のあんた」
と笑い話にする母、

「一人だけ大きい声で泣いていた」
「廊下まで聞こえる声ですぐわかった」
と誇らしげに話を盛る父。



当時未熟児と呼ばれていた
低体重出生児がほとんどのNICU…

3400gの私は確かに大きそう。



子供の頃は
単純に体重だと思ってましたが
もしかしたら瘤の質量もあるのかも?







私のリンパの異常は、

顔面から胸にかけて瘤があり
エラ、首、胸、脇の下にかけて
ゴルフボール大の瘤がいくつも連なり

それが内臓を圧迫して潰していたそうです。



異常があるのは右側のリンパ節。



生まれたばかりの新生児の私の肺は
リンパの瘤に圧迫されて
片方がペシャンコに潰れていたそうです。



もしも肺が両方潰れていたら、
息ができずに死んでいたと
母はお医者さんに言われたそうです。



肺が片方潰れてはいたけど
無事だったもう片方で呼吸できた私。

悪運が強いですね。






私はそのまま手術になりそうでした。



先生は手術をする方針。



しかし看護師さんが止めてくれたらしく、

・手術をしなきゃ死ぬ病気ではないこと
・症状は命に関わることではない
・新生児に手術は体に負担がかかる
・片方の肺で一応は呼吸が確保できている
・手術で体力が落ちてはかえって危険
・このまま経過観察ではダメなのか

このようなことを言ってくれたそうです。



先生のいる場で言ったかどうかまでは
私が聞いてないか覚えてませんが…



看護師さんが母に伝えてくれたこと、

今でさえ、看護師が医師に意見したり
医師の意見に反対するのは
憚れるような風潮があるかと思います。



それが二十数年前の当時…

医師に反する意見を母に伝えた看護師。



上で述べた様々なことがありますが、
何より母が嬉しかったこと…



・女の子の体に傷をつけたくない
・傷つけずに済むなら綺麗なままにしたい

母はこれが一番嬉しかったそうです。






母の話だと、

医者が切りたがっているのは
私のためより自分のため?というか
手術の実績を作りたい雰囲気…?

そのように感じ取ったそうです。



それとは反対に、
私の将来を考えてくれた看護師さん。



実績を作りたい医師よりも
女の子の母親としての
母の気持ちに寄り添ってくれた看護師。

母が看護師を選んだ理由がわかります。






そして私は経過観察になりました。


何事もなく無事に出産して、
一緒にお家に帰れるものだと
信じて疑わなかった母。



産後自分が退院して、
どうして一緒に退院できなかったのか…
泣いた夜もあったそうです。

自分を責めたこともあったそうです。



毎日面会に通ったそうです。

毎日NICUに母乳を届けたそうです。



病院での経過観察は二週間で済みました。



NICUに運ばれた当初はモニターや
様々な管をつけられていた私ですが

体の形は歪でも自発呼吸ができてた私。



私は二週間で退院しました。






次の記事は…