職場からの更新、ラスト。

…が、本当は昨日だった筈が、本日も出社の羽目に。



最後の一日の昨日、取引先との挨拶やら職場内の挨拶やら交えつつ、トラブル発生でわたわた走り回ることになってしまって、最終日にも関わらず謝罪に赴いたりで、てんやわんや。

なにも最終日にって、流石にちょっと泣けたぜ…。


そしてまた今朝にもトラブルで、朝っぱらから出社して今に至る。
挨拶出来なかったひとに挨拶しに行って、何だか感情が高ぶったりとかしながら仕事して。

勝手に辞めるくせにえらく都合がいいけど、泣ける、やけに。
部署内のひと達のあたたかいことあたたかいこと、身に心にしみた。

ウチの部署、ほんといいひと達と仕事出来てたんだなぁって改めて思った。
心底から有難い。






たまに遊びに行っても許されるかなぁ。







明日が最後の出勤日。仕事納め、です。
明日会えないひとと仕事してて、何となくしんみりしてしまったり、うっかり涙腺が緩みそうになったり、餞別を頂いたり(本来頂ける立場では無いんだけど)、急遽決まったらしいパートさんの初日と言うことでばたばたしたり、笑ったり、焦ったり、笑ったり。

辞める時ってこんななのかな。

不可思議な、新鮮な、自分の決めたことなのに何だか寂しいカウントダウンだったりした。

多分明日もばたばただし、結局明後日、出勤にはしないけど会社には来るし、送別会とかして頂けるらしいし。



ほんと、不思議な気分だなぁ。



辞めるにあたって、もう修復は不可能だろうと思っていた同期の子と、ほんのり一時、意思疎通が出来たみたいで。
嬉しくもあり寂しくもある、そんな感覚に包まれた数日。






厚い雲が所々あったものの良く晴れた日に、母と一緒に紅葉狩りへ。

山の上の林道を車でコトコトひた走る。と言う割に、ちょこちょこ停めては写メったり眺めたりでのんびりペース。


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早起きが思ったより出来て、そのせいで返ってうっかりのんびりの馬鹿者、お茶作れずにお弁当だけ持って出発。
山の高いところで母と二人栗ご飯のおにぎりを頬張る。美味し。


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空気がひんやりしていて、日差しは暖かくて、景色は奇麗で、気分は穏やかで。
終始楽しい気持ちで過ごせた一日。およそ260キロの道のり。



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時間が出来るんだからと思って受けたかった検定の申し込みをギリで送る。はてさて間に合ったのかどうか。
とは言え試験まで一ヶ月無い、いい加減勉強せねば。いい加減問題集くらい買って来なければ。つまり、焦らねば…!



遠足に行きたい、と言ったら仕方なさげな顔をしつつも母が付きあってくれるらしいので、次の休みは栗ごはんでお弁当を作って紅葉狩り。
あったかいミルクティーと、マテ茶でも作っていこうかな。







スキなものだから残念に思った。遺憾の意を表する、そんな感じ。

こんにゃくが好きで、やっぱりこれも好き、蒟蒻畑。製造中止を聞いて、無くなる前にと買い集めに行った。


子どももお年寄りも年齢に関係なく誰だって、美味しいものが食べたいし、食べたいものを食べたい。当たり前。
食べた方、食べさせた方を悪いと、個人的には本当は言ってしまいたいけど、食べたい物を食べるのは当たり前のことで、注意書きがあったからってそれを見ずに食べさせた方をただ悪いと言っていいのか分からない。

危ないものだって認識は自分としては薄かったかもしれない、子どもでもお年寄りでも無い自分は、危ないと思ったことが無い食べ物だから。
でも、子どもとお年寄りは食べないで、と食品としては制限して注意喚起しつつ販売してたメーカーだけを責められないようにも、思う。



危ないものを遠ざけることが、果たして守ることになるんだろうか。



怪我の危険性があると言って今では撤去された遊具で昔、自分らは遊んで来たし、それと共に育ってきた。
大小の怪我をしょっちゅう作って、泣く目に遭っても、次の日にはその怪我をしたものでだって遊んだ。
怪我をする可能性を身を以て知ってて、怪我をしないような遊び方を覚えて行った。

危ないものなんかそこいらじゅうに溢れてて、その中でどうやって怪我をしないで遊ぶかを、そんな深い考えもなしに自分の中で築き上げていった。

そういうものじゃ無いんだろうか。

遊具で亡くなったりした子どもが居なかったから言えるのだと言われれば確かに、でも、大きな怪我は割合にあったし、そのことが当たり前だと思ってた。身の回りにあるもの全て、危ないんだと分かってた。だからこそ怪我だけで済んだんだろうし、怪我をするもんだと思っていたから、怪我をしたって自分も周りの大人も驚かなかった。注意が足りないと、怪我をしたことを怒られはしても。

(あ。当然ながら遊具の製造メーカーの、危険を無くす努力を不要だと言ってるのでは全く無く。またメンテナンスなんかを怠ったりするのは言語道断だとも思ってる。その上で、のこと)


火は危ないから、なんて遠ざけたとして、火を全く使わずに生活出来るだろうか。
遠ざけた結果、危険性も付き合い方も知らないで不意に火と遭遇した時、対処出来るのだろうか。
危険性を考え付くあらゆるものを排除していったら、何ひとつとして残らない。ひとだってひとに危害を加える可能性があるから、ひとさえも残らない。



危険性のあるもの程、保護者なり教育者なり、年長のもの、周りのものが一緒に居ながら小さい内からその危険性と付き合い方を教えるべきなんじゃなかろうか。


大事だからと言って、知り得られた筈のものを遠ざけ、与えない権利なんてあるのかな。
大事にすると言うことは、そんな一方的なものなのか。



命を軽んじるつもりは無いんだけれど、余りに、マスメディアに煽られ過ぎていないかと不安になる。
危ないものに近付いて欲しくない、怪我なんて、ましてや命を落とすなんてことの無いようにと願うその思いは尊いと思うからこそ、大事に慈しむことの方法を考えて欲しいと思う。