ブログネタ:『崖の上のポニョ』の歌が耳から離れない人、いる?
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うううん。なんというか。
覚悟があったので、結構すんなり受け入れられた。
という感じですね。
ネット上の記事をみますと、ストーリーについては、賛否両論です。
しかし私は言いたい。
この物語について、ストーリーを語る事そのものがナンセンスだと。
宮崎駿自身が描きたいシーンを羅列したもの、と思っても問題が無いくらいのものです。ですので、これが映画というエンターテインメントかどうかと問われれば非常に疑問です。「アニメーターが画集を作ると、こういう事をするしかないよね」というものですので、少なくともストーリーテイリングという意味では、完全に破綻しています。例えば、アイドル写真集を持ち出して「5枚目と13枚目の写真に関連する意味づけはなんであろうか?」という議論をすると同じくらいのものになります。
ただ、やっぱり美しいものですし、迫力もありますし、そういう観点で見ればよい作品であるというか、私が口を挟むのがおこがましいほど良作であると思います。
しかし、超映画批評にあるように世の中がジブリに期待しているのはこういうものではないという意見については、全面的に賛成です。
しかし、超映画批評にあるように世の中がジブリに期待しているのはこういうものではないという意見については、全面的に賛成です。
この映画の特徴は、すべての存在がが理屈抜きに存在している、という事です。
これらのものの存在価値や理屈を考えるのは「重力はなぜ存在しているのか。その意味は何か」を論じるのに非常に近い議論になりほとんど形而上学みたいなものになってしまいます。
山岳の風景を眺める際に「これはどうやって出来たのか」を論ずることは構いませんが、「この山はなぜ存在するのか」を論ずることは非常に難しい話になります。ポニョを見るときにも、同じ気持ちを持って望むと良いと思います。「それはそこに存在するから、そこに存在するんだ。美しければいいじゃないか」くらいの勢いを持ってみれば、特に混乱してしまうことも無いでしょう。
この映画のすばらしいところは、カット毎のアニメーションはすべての理屈を踏襲している一方で、ストーリーだの展開だのメッセージ性だのといった、総合芸術としての映画の呪縛から開放されていることでしょう。こんなの、実績のあるジブリにしか作る事はできませんねえ。
そしてこの映画の罪な部分をあげるとすれば、「これでもいいんだ」とカンチガイした若手クリエイターがこうした映画を作ってしまうこと、もしくはその可能性があることですね。そういうポカ映画が生まれないことを、祈るばかりでございます。
さて、最後にネタに投稿しているので。
そういうわけで、この歌の存在意義について論じる事はできません。つまりは「美しささえ追求すれば、その他の一切の呪縛から解き放たれる」というモチーフであるがゆえ、この楽曲はうまれたのです。私の中で藤岡藤巻といえば、やっぱりまりちゃんズですし、衝撃の「娘よ」であったりするわけで、彼らがこれを歌っていると知ったときは、お茶を噴出しそうになりました。実際にはお茶など飲んでなかったので、これは言い回しでしかありませんが。
まあ、頭からはなれませんがな。