ぽーにょぽにょぽにょ | Livin' On The Edge

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日々の考察と観察。

まさに崖っぷちの人生なり。

昨日友人のMと「喫茶さくら」で、いつもの「なんでも談義」をしていたわけですよ。


 ひげ「なんかよ、ぽにょがさ、ひでえらしんだ」


 えむ「記事読んだ感じだと、ひどいみたいだなあ」

 ひげ「まあ、つげ義春だっていわれてたりするからさ、想像はつくわな」

 えむ「だれそれ?」

 ひげ「しらんのか?まじで?」

 えむ「小説よまねえってしってんじゃん」

 ひげ「つげ義春は、マンガだし!」

 えむ「ううむ。他に例えるとなんだ?」

 ひげ「そうだなあ、キューブリック?」

 えむ「キューブリックはシャイニング以外は認めん!あとは駄目だ!」

 ひげ「ハートマン軍曹を忘れるな!」

 えむ「あれは本物だ!だから違う!」

 ひげ「まあ、テーマとしては、駿はキューブリックとどう違うか、だな」

 えむ「アレな若者が"キューブリックってイイよね!"っていう世界に到達するかって事か?」

 ひげ「おおよそそんな感じだ」

 えむ「それは無理だろ。というか、並列で語れないだろ」

 ひげ「まあなあ。見ないと詳しいことなんもいえんしなあ」

 えむ「じゃあまあ見に行くか。ちょうど新宿のピカデリーへ行きたいと思ってたんだ」

 ひげ「まあいくか」



という事で、本日夜に友人とポニョを見ることになりました。


ええ、

 妙齢の男二人で。

  それもレディースデーに。

   お洒落なシネコンへ。





ちと、見る前からネタバレっぽい話をしますので、読みたくない人は読み飛ばすべし。
・・・アメブロって折り曲げ機能がねえんだよな・・・


今のところの考えは
 「プロモーションで嘘つく、ということ」
 「それがそれであると伝えないこと」
 「崇高すぎる何かは、大衆娯楽ではないということ」
という事ですね。











たけくまさんの「たけくまメモ」は、非常に微妙な反応です。

宮崎駿のアヴァンギャルドな悪夢
http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2008/07/post_fb6c.html

ポニョ2回目
http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2008/07/post_51ec.html


乙木さんの「さて次の企画は」は、非常に激怒しておられます。
ポニョ見たけど、師匠も男友達もいない宗介と、オタク的に都合の良い「聖なる女性賛美」が強すぎて駄目でした
http://d.hatena.ne.jp/otokinoki/20080727

乙木さんが激怒しておられる理由はすごくよくわかります。
しかし、たけくまさんのテキストを見る限り、それが的外れなことがわかります。
でも、純粋に乙木さんが混乱しているのは「この作品をエンターテイメントだと言い切っている」制作サイドの立ち位置によるものだと思うんですよね。


乙木さんの憤りは、おそらく私が「相棒」の映画に感じた感想と同じなのです。

あの映画は「エンターテインメントだと言いながら、文法は完全に左翼系ファクション・プロパガンダ映画」でした。
(※注:ファクション:fact+fiction=実際の事件をベースに再構成した作品)
私は、「相棒」が刑事ドラマとして持つべき要素をすべて捨てて、アナーキズムとテロリズム賛美に走ったことに、憤りを感じました。
加えて言うなら、サヨクと呼ばれる人たちが使う、視野狭窄に陥ったままのエセヒューマニズムや、唯我独尊的な平和の押し付けが非常にキライです。そして、私の愛する「秩序と情け」をテーマとしたドラマがすべて捨て去り、禁じ手に近いほどの卑劣なプロパガンダの走狗に成り果ててしまった事に対して、失望したのです。

一方で、広報戦略は完全に定型たる刑事ドラマにアクションが追加された超大作というウリだったわけです。
事実は「台本レベルから、刑事ドラマのあるべき文法を守っていない」という世界でしたので、広報戦略は「客を騙してでも映画館に連れてこい」だったと思います。もしくは「真のテーマでは客を呼べない」という判断になったのかもしれません。

まあ、「私が相棒の映画だったら、秩序と情けを重んじる刑事が活躍し、きちんとしたカタルシスを得られる映画だと思い込んでいた」という部分が問題だったわけで、「テレビ朝日が作る映画とは何か、という事を考慮していなかったのが悪かった」という結論に達します。


たぶん、そういうことなんだろうなあ、と思ってるんですわ。

という事で「エンターテインメントの皮をかぶった実寺山修司」だという認識で行って来ます!