Livin' On The Edge

Livin' On The Edge

日々の考察と観察。

まさに崖っぷちの人生なり。

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子どもの頃から、繰り返し見る夢がある。
昨日も、その始まりを見て、すぐに目が覚めた。


まだ、実家が古い建物で。

家族がそろって、今でテレビを見ている。たぶん土曜日なのだろう。弟も小さく、私もまだ子どもである。
玄関のピンポーンと鳴ると、母親が玄関に出てゆく。
その後を私が追いかける。

ドアの外には、かごをもった、やせっぽっちのおばさんが立っている。
そして、たまごをかってください、と言うのだ。
それを母は何かしら断るのだ。

おばさんの目は、すごく死んでいるというのか。
白目の部分が無くて、緑色の目をしている。
おかっぱ頭で、背が高くて、やせっぽっち。


そうして私の家族はおばさんから逃げるために、海辺の崖の上にロッジのような家を買って、
そこで住む事になった。

でも、たまご売りのおばさんは、そこにもやってきた。
私がじっと顔をみつめると、ぼろりと顔がとれて、
中から大きな緑色の目をした、虫みたいな顔が出てくる。

だいたい、そこまでで目がさめる。

まるで万人にお勧め切る映画ではありませんけども、ゲーム制作者は見ておいたほうがいいかな、いろいろと。
私個人としては非常に楽しめましたし、楽しめる人もいるのじゃないかと思います。一方で「これを楽しめない人が存在することは確信できる」ものでもあります。


■ 蘇ったマンガ手法

私が一番衝撃を受けたのは、アクションシーンのひとつに「マンガ手法」が使われていたことでした。このマンガ手法というのは、今この場で便宜上つけている手法なわけですが。
このスピード・レーサーのあるシーンでは、過去に大失敗であった映画キャシャーン(実写)で用いられた、マンガ的な演出が使われています。
ぶっちゃけたところ、あの映画が公開された時点では「マンガ演出は映画演出には使えないだろう」という結論が出るくらい、大失敗の演出でした。しかし、このスピードレーサーでは、そこそこの効果をあげているように見受けられました。現時点では、まだまだ不自然な感じもあったりするのですが、当時に比べれば格段に進歩していると言えるでしょう。

このマンガ手法の中で一番難しいと思われるのは、アクションをしている人間のみを捉える、というカットであるように思います。さすがウォシャウスキー兄妹といえども、この部分については、非常に苦労しているように見受けられます。
私は、この「アクションをしている人間のみをとらえる」という部分に関しては、アニメよりもゲームの方が勝っていると思われます。今この場で、じゃあそのカットの問題を解決してみろ、と言われるとやはり難しいのですが、ゲームのムービーシーン等では、すでに解決されているようなカットであるように思います。
といいますのも、ゲームでのドラマ演出は、モデルとエフェクトを中心に構成されるのですが、予算とプラットフォームマシンの限界から、まるで余分な要素を入れることが出来ず、本当に用意されたもので演出を行わなければならないという制限があります。こうした制限の中で、いくつかのゲームの演出シーンは構成されているわけで「最低限の要素による演出」つまりは「アクションしている人間のみをとらえる」という部分の技術は非常に高いのではないかと思うのです。

さあ、少し勉強してみようかな、という感じになってきます。


■ 速いものを速く描く事の限界

スピード・レーサーは、非常に速度のあるマシンを使ったレースがモチーフになっています。劇中では、時速800kmとか言っていましたから、とんでもない速度です。しかし、速いものをそのまま速く描くと、鑑賞者には何がなんだかわからなくなってしまいます。その部分の解決が、非常に難しそうだなあと思いました。
もちろんスピード・レーサーにもスローで表現される部分はありましたし、ずいぶんと斬新な手法を使っていたように思います。しかし、ベースはは香港映画が生みだした演出としてのスローでしかなかったように思います。また、曇ったものは曇ったものでした。そのあたりの演出の難しさというのを感じました。


■ 時系列を壊して再構築

この映画は135分という、まあ長くも短くも無い映画なんですが、とにかく長く感じます。ハイテンポなカット割りで、読み取る情報量が多いからかもしれませんが、時間圧縮がうまいからかもしれないと思いました。
映画の前半(時間尺をとっていませんが、おそらく三分の一くらい)が、スピード・レーサー誕生のプロットを追いかけています。ここでの時間軸の扱いが非常にうまいというか、圧縮加減がすごいのです。このあたり、非常に参考になる進め方になると思いました。


■ 子役すげえ

あと、チンパンジーと戯れる子役の技量がハンパねえっす。
これは特筆に価します。


以上、ざらっとメモ。

イタタ度/中二病チェック

http://2chcopipe.blog122.fc2.com/blog-entry-2088.html



●シュレーディンガーの猫
 なんか箱にネコと放射能物質と探知機と毒を入れて1時間待つ。
 その間のネコは、生きているのと死んでいるのと、重ねあわせの状態って事でおk?
 (2点)


●チェレンコフ光
 なんか物質内の光が物質内の光の速度を越えたときに出る光。
 (1点)


●フェルマーの最終定理
 X^n + Y^n = Z^n は、3以上の数では成立しないと言う定理。
 長らく証明できてなかったのだけど、近年証明されちゃった。
 私には証明できないし、したくも無い。
 (3点)


●ポアンカレ予想
 知らない。
 (0点)


●シモ・ヘイヘ
 伝説の狙撃主。安っぽい銃で、100日でソビエト兵を500人くらいを狙撃した。
 北のほうの人。
 (2点)


●ハンス・ウルリッヒ・ルーデル
 伝説の飛行機乗り。戦車とかすげえ壊した。ドイツ人。ルーデル。
 (1点)


●サヴァン症候群
 知的障害者に見られる天才的な能力の事。天才だかなんだかっていう意味。
 カレンダーを全部憶えたり、すごい絵を描いたり、そういうやつ。
 もともとは、白痴っていう言葉もついていたけど、取られた。
 (3点)


●クトゥルフ神話
 超詳しい。ラヴクラフトと、その周りの作家たちが作り上げた暗黒神話体系。
 この話だけで、3時間以上飲める。飲んだこと無いけど。
 このインスマス面め!
 (3点)


●デウス・エクス・マキナ
 機械仕掛けの神。くちゃっとしたのをおりゃ!って直す形の話。
 僕はきらい。
 (3点)


●人生、宇宙、すべての答え
 42。
 (3点)


21点。
・・・なんだ、これ。


六十余年もの昔、日本は大戦に敗北した。
そして、それから戦後と呼ばれる時代を過ごす事になる。
力が支配した時代のそれは、すべて日本が引き受けて、世界から帝国主義は消えた。


大戦については、すでに二人となった鬼籍の祖父と祖母から、何度と無く繰り返し聞かされた。


終戦の年の6月末から7月末にかけて、岐阜の町は焼けた。
田園を焼夷弾の炎が走り、幾人もが焼けて死んだ。
マンハントの戦闘機が降下し、幾人もが撃たれて死んだ。

私はその景色を、想像すら出来ない。


私が、安穏とエンターテインメントを考え、作り、ぼやき、生きていることに、
どうすればいいのか、どうなるべきか、わからなくなる時がある。
ただただ、感謝と涙があふれるばかりである。


願わくば。
不条理な死が舞い降りぬ世の中になるように。
理想が人を殺さぬように。ましてや私利私欲が人を殺めぬように。
隣人と、隣人の隣人が、健やかな時を過ごせるように。


家族へ。
今年のお盆は帰れません。おばあちゃんの法事にも出られません。
家族不幸で申し訳ないけど、9月の終わりにはまとまった休みを取ります。
東京バナナを買って帰るよ。




それ、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、凡そはかなきものは、この世の始中終、幻の如くなる一期なり。
されば未だ万歳の人身を受けたりという事を聞かず。一生過ぎ易し。今に至りて、誰か百年の形体を保つべきや。我や先、人や先、今日とも知らず、明日とも知らず、おくれ先だつ人は、本の雫・末の露よりも繁しといえり。
されば、朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり。既に無常の風来りぬれば、すなわち二の眼たちまちに閉じ、一の息ながく絶えぬれば、紅顔むなしく変じて桃李の装を失いぬるときは、六親・眷属集りて歎き悲しめども、更にその甲斐あるべからず。
さてしもあるべき事ならねばとて、野外に送りて夜半の煙と為し果てぬれば、ただ白骨のみぞ残れり。あわれというも中々おろかなり。されば、人間のはかなき事は老少不定のさかいなれば、誰の人も、はやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏を深くたのみまいらせて、念仏申すべきものなり。


~白骨の章 蓮如~

子どもの頃一番ワクワクした映画は? ブログネタ:子どもの頃一番ワクワクした映画は? 参加中
本文はここから

あれはまだ、地元を走る電車の窓が開いた頃の、もうずっとずっと昔の話である。

とにかく実験というものや言葉が大好きで、幼稚園の卒園アルバムの、将来なりたい職業に「博士」と書いてある私の将来の夢が少し具体的になり、薬剤師になる(もちろん母の影響であるが)とかいっていたころの話だ。

やっと字幕も読めるようになり、父に連れられて見に行ったのが、スターウォーズだった。
それはあまりに衝撃で、あまりにすごかった。
明らかに財を投じて「作られている」その圧倒的な物量感、そして「作られるはずのない」その幻想的な世界感、御伽噺か科学的なのかわからない理力をはじめとする様々な存在と法則。
何もかもが私の見てきた世界とは違った。
もはや、ろうそくを溶かして燃やしてみたり、色々なビー玉を転がして早い遅いを観察するレベルをはるかに凌駕するものが、その銀幕の上にはあった。いやたぶん、私はそれを実在として感じたのである。
帰りの電車では窓から手を出して、あの空とぶバイクとどっちが早いのだろう、というような話をしながら帰った。

そして、実験への情熱は、そのまま特撮への情熱と変わって行ったのである。

その頃はまだSFXなどという言葉はなく、学研や小学館の小さな子供向け文庫で特撮特集の本があったりして、それをあさるようにして読んだ。そしてそのまま特撮マニア --勿論、今の特撮マニアとは別のもの-- へとなっていった。
その後、県庁所在地のある町に出かけたときは、いつでもホビーショップによって、ミレニアムファルコン号のプラモデルを眺めたり、洋書のマンガをビニルの外からみてみたりして、結局は、小遣いもなく、買うこともできずに帰ってきていた。常にスターウォーズは憧れで、常に私の知っている中では最高の高みであった。

そうした生活の中で、日々せっせと双六をつくったり、迷路を書いたり、指輪物語にであったり、ウルトラクイズに統帥したり、そしてファミコンにで遊びながら、私は育っていくのであるが、その根底にあるのは常にスターウォーズだった。

高校生になる頃には、友人の家でBASICを叩いてみたり、学校のパソコンをつかって、簡単なゲームをつくってみたりしながら、すごしていた。しかしSFへの憧れは途切れることなく、ディックやら、ハインラインやらを読むようになっていた。

そしてある日、マイケルジャクソンのBlack or Whiteに出会う。
私の住む地方の夕方には、大変有名な情報番組があり、そのパーソナリティーが「このPVはビデオをとっておけ」という事を言った。そして特撮をすべて理解していたつもりの私が、まるで理解できない映像に出会う。
目の前で人の顔が換わって行くのである。今でこそ、それがごく初期のモーフィングという技術であることは一目瞭然であるものの、CGという世界を知らなかった私には衝撃的な映像であった。最終的に何回それを繰り返してみたかわからない。そして私はCGに興味を持つようになる。

それからしばらくはPVこそが映像の最高峰と思うようになった。実際に、当時のMTV向けのPVには、(主に広告として奇抜な映像をつくるために)莫大な金と新しい技術がつぎ込まれており、それは間違っていなかった。

そしてある日の深夜放送で、まるでみょうちくりんな映像に出会う。人間の上半身だけが高速で動いて、弾を避けるという、意味のわからない映像だった。明らかに私は「誰のPVだろう?ジャミロクワイ?」と思った。
しかしそれは映画だという。

最終的に私はマトリックスを劇場で6回見るハメになった。

そうして「生きるために」インターネットの世界に飛び込んだ。
その後、いろいろなモノを捨てて、私はゲームを作る事になった。

なんだろう。いろいろと書いてみて、良かったなあと思っている。
この仕事の山を越えてちょっとしたら、マッハGo!Go!でも見に行くか。


題材に感謝

仕方がないので、ディックの「電気羊はアンドロイドの夢をみるか」を引っ張り出してみた。
ちょっと読んでも眠くならないので、PCに電源とか入れてみた。




ふと、こうしたサイエンスフィクションって、全米的にはどの程度「売れていた」ものなのだろうと思った。
ブレードランナーの原作であって、非常に有名な作品なのだけれども、初版のときはどれほど売れたものなのか非常に疑問であるのだ。



例えば、士郎正宗が描き、押井守が映像化し、ウォシャウスキー兄弟がマトリックスへと昇華させた、攻殻機動隊にしてみても、私のようなものには、読んでて当然知ってて当然の代物であるものの、日本の総人口に対する既読率など、恐ろしく低くて、数字にも出来ないほどだろう。
開き直って考えてみれば、士郎正宗のそのマンガはあまりにマニアックで、とても「そうではないひと」にはおすすめできないし、同じような意味でディックの作品をあまねく人々に読んだほうがいいよ、なんて話すこともできない。



つまるところ、我々の造るものや考えるものは、限りなくマニアックであって尖っていて普遍的でなくて、おおよそ偏って歪んで傾いているものなのだ。ただそれが作り出すドラマのエッセンスは、非常に柔らかくて繊細で人間的で、多くの人々を感動させるのだと思う。まるで全世界に広がってみたことのある、こうしたコンテンツにしたところで、それを愛する人間の総数なり人口比率なりを、爆発的に増やしているなんて事はないのだ。



振り返って考えれば、現在のDSブームの実態などは、こうした事象が引き起こす、広がりの最後の到達点であって、基本的には根幹的なものではないのだろう。それを作り出した任天堂ですら勘違いするほどの、市場感覚を持っているはずの流通ですら目がくらんでしまうほどの、あまりにも大きな波であっただけだ。表層を追いかけるものには根源などなく、根源を持たぬものは一瞬にして吹き飛んでしまうのだ。
そうして普遍をめざしたゲームの世界は、おおよそヒラヒラと舞う表層みたいなものばかりで構成された要素が多くなって、割合的には、まるで全部が吹き飛んでしまうが如くに見えているのだ。昔から、ずっとずっと居座り続ける濃度の高いその世界は、実際には広がることも縮まる事もなく、その場に座り続けているというのに。



「我々」が持つ幻想と妄想と発想のガジェットは、平均的な社会では、大きな偏差を持っているはずだ。それはゲームに限らない。陶器職人にしろ、料理人にしろ、百科事典のセールスマンにしろ、である。誰がピカソのキュービズムを、人口の何割があのキュービズムを、根底から理解して愛しているというのだろう。そんなものを普遍的にしようというのは、間違っているのではないだろうか。


まず、というのであれば、その世界で尖りきる事を目指すべきではないだろうか。


それが我々の目指す商売なのではないだろうか。

という事で、このところWebの仕様を切って外注デザイナーさんをコントロールしたり、そのワークフローの中にプログラマとして入り込んでPHPを書いたり、なんやら開発外注まりをして顔を繋いだりと、いったいお前の職種はなんなんだ、という仕事を繰り返しているひげです。こんにちは。


そして今日もまた新たなるミッションが。


しばらく忙しくなりそうです。


各方面には個別で連絡を入れますので。



お盆は東京で過ごします。

遊びに行くためじゃなくて・・・

メモ


 「8月の2日に、あなたの訃報に接しました。6年間の長きにわたる闘病生活の中で、ほんのわずかではありますが、回復に向かっていたのに、本当に残念です。われわれの世代は、赤塚先生の作品に影響された第一世代といっていいでしょう。あなたの今までになかった作品や、その特異なキャラクターは、私達世代に強烈に受け入れられました。


 10代の終わりから、われわれの青春は赤塚不二夫一色でした。何年か過ぎ、私がお笑いの世界を目指して九州から上京して、歌舞伎町の裏の小さなバーでライブみたいなことをやっていたときに、あなたは突然私の眼前に現れました。その時のことは、今でもはっきり覚えています。赤塚不二夫がきた。あれが赤塚不二夫だ。私をみている。この突然の出来事で、重大なことに、私はあがることすらできませんでした。


 終わって私のとこにやってきたあなたは『君は面白い。お笑いの世界に入れ。8月の終わりに僕の番組があるからそれに出ろ。それまでは住む所がないから、私のマンションにいろ』と、こういいました。自分の人生にも、他人の人生にも、影響を及ぼすような大きな決断を、この人はこの場でしたのです。それにも度肝を抜かれました。それから長い付き合いが始まりました。


 しばらくは毎日新宿のひとみ寿司というところで夕方に集まっては、深夜までどんちゃん騒ぎをし、いろんなネタをつくりながら、あなたに教えを受けました。いろんなことを語ってくれました。お笑いのこと、映画のこと、絵画のこと。ほかのこともいろいろとあなたに学びました。あなたが私に言ってくれたことは、未だに私に金言として心の中に残っています。そして、仕事に生かしております。


 赤塚先生は本当に優しい方です。シャイな方です。マージャンをするときも、相手の振り込みで上がると相手が機嫌を悪くするのを恐れて、ツモでしか上がりませんでした。あなたがマージャンで勝ったところをみたことがありません。その裏には強烈な反骨精神もありました。あなたはすべての人を快く受け入れました。そのためにだまされたことも数々あります。金銭的にも大きな打撃を受けたこともあります。しかしあなたから、後悔の言葉や、相手を恨む言葉を聞いたことがありません。


 あなたは私の父のようであり、兄のようであり、そして時折みせるあの底抜けに無邪気な笑顔ははるか年下の弟のようでもありました。あなたは生活すべてがギャグでした。たこちゃん(たこ八郎さん)の葬儀のときに、大きく笑いながらも目からぼろぼろと涙がこぼれ落ち、出棺のときたこちゃんの額をピシャリと叩いては『このやろう逝きやがった』とまた高笑いしながら、大きな涙を流してました。あなたはギャグによって物事を動かしていったのです。


 あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに、前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は重苦しい陰の世界から解放され、軽やかになり、また時間は前後関係を断ち放たれて、その時その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。すなわち『これでいいのだ』と。


 いま、2人で過ごしたいろんな出来事が、場面が思い出されています。軽井沢で過ごした何度かの正月、伊豆での正月、そして海外でのあの珍道中。どれもが本当にこんな楽しいことがあっていいのかと思うばかりのすばらしい時間でした。最後になったのが京都五山の送り火です。あのときのあなたの柔和な笑顔は、お互いの労をねぎらっているようで、一生忘れることができません。


 あなたは今この会場のどこか片隅に、ちょっと高いところから、あぐらをかいて、肘をつき、ニコニコと眺めていることでしょう。そして私に『お前もお笑いやってるなら、弔辞で笑わせてみろ』と言っているに違いありません。あなたにとって、死も一つのギャグなのかもしれません。私は人生で初めて読む弔辞があなたへのものとは夢想だにしませんでした。


 私はあなたに生前お世話になりながら、一言もお礼を言ったことがありません。それは肉親以上の関係であるあなたとの間に、お礼を言うときに漂う他人行儀な雰囲気がたまらなかったのです。あなたも同じ考えだということを、他人を通じて知りました。しかし、今お礼を言わさせていただきます。赤塚先生、本当にお世話になりました。ありがとうございました。私もあなたの数多くの作品の一つです。合掌。平成20年8月7日、森田一義」


どうやら白紙だったらしい。


弔辞の比較

http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/archives/92




まあ、いいかげんなテストなので、なんとも。

もう少し良い成績は取れそうです。

HIGEさんは、調子のいいときは英文が止まって見える 英語力です



Portal
http://www.cyberfront.co.jp/title/hl2_orange/portal.htm

焦った。超焦った。すげえ面白そう。
でもたぶんプレイできない。プレイヤー能力的に。


発想としては凡々であるような気もするものの、ここまでブッ飛んだ展開を生真面目に作っているところに好感が持てる。
ただ、求められるプレイヤー能力として、FPSがままならない人間が遊んだところでどうしようにも無い気がしてなりません。


物理エンジンの存在と、FPSという文化を背景にしないと作れないゲームですねえ。
KOFがスト2の上にいるような感じかもしれません。でもちょっと違うようにも思います。
どちらかというと、Alone in The Darkとかプリンスオブペルシャとかアウターワールドとか、ああいうゲームの系統に近いんでしょうなあ。というかこのエンジンでAlone in The Darkとか作ったら、超よさそう。どうなるかまるで見当もつきませんが。


まあ、物理エンジンは超汎用ですから、積み重ねが結構聞いてくるんですよね。
でもFPSっていうコントロールシステムを理解して習熟できてないと、この手のゲームは出来ないですねえ。

さあ、果たして。