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…とその前に、まずは、旧ユーゴスラビアにおける歴史から入りたいと思います。※webからコピペさせていただいています。
この汎スラブ主義を初めとするさまざまな民族問題が、ユーゴスラビア問題の根っこです。
はじまりは、セルビア王国。
東欧の歴史はもちろん相当古いのですが、ここでは第一次世界大戦からお話しします。
「サラエボ事件」、オーストリア帝国の皇太子がセルビア人青年に暗殺されてしまったお話です。
ユーゴスラビアが位置するバルカン半島が当時「ヨーロッパの火薬庫」とされていたこと。
この第一次世界大戦、実はオーストリア・ハンガリー帝国vsセルビア王国の戦いから始まったんです。
当時のヨーロッパ地図(Wikipediaより)
えらい大ざっぱ。まさに帝国・王国の時代だったんですねー。
第一次世界大戦の結果、セルビア王国は甚大なダメージを受けました。帝国主義の反省もあってか「民族のことは民族自身に決めさせてあげましょうや」という雰囲気、いわゆる民族自決の波がやってきます。ベルサイユ条約でも民族自決の原則が盛り込まれ、汎スラブ主義実現の最大のチャンス到来しました。
このチャンスを逃すものかと、それまでイスラム系やゲルマン系が支配してた帝国から南スラブ系の民族が独立し、ついに大規模な南スラブ人の国を作りあげました。
セルビア、モンテネグロ、クロアチア、スロベニアの4つの地域・民族が集まった 「ユーゴスラビア王国」が誕生します。(ユーゴ=南、スラビア=スラブという意味らしいです。)
このときのユーゴスラビアは「連邦」というくらいなので、いくつかの共和国で成り立っていました。
北西から
スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、マケドニア
の6つの共和国と、セルビア共和国内のヴォイヴォディナ、コソボ
の2つの自治州によって構成されていました。
チトー(ゲリラ組織)はこの難しい国をなんとかうまく統治していましたが、1980年にチトーが死去すると、各地で不満が一気に噴出し始めます。
民族主義の運動に加え地域による経済力の差が出始めていて、経済的に弱い地域では市場経済の導入に対する不満が、経済的に強い地域では社会主義に対する不満がありました。そしてクロアチアは相変わらずセルビア人勢力への不満がくすぶっていたのです。
こうしてユーゴスラビア紛争が本格化します。この紛争は、乱暴にまとめると「独立を目指す各民族vsユーゴスラビア連邦(≒セルビア共和国)」なのです。
1991年、クロアチアとスロベニアが独立を宣言します。まずスロベニアに軍隊が侵攻。これは10日間という短期間で終結したのですが、この2国間では1995年まで激しい紛争=クロアチア紛争が繰り広げられました。
さらに1992年、ボスニア・ヘルツェゴビナが独立宣言。またしても紛争が勃発します。周辺の民族紛争の流れの中でボスニア国内でもクロアチア人、ムスリム人、セルビア人がそれぞれの主義主張をさせて争い始め、それぞれを後方から支援する国があったので事態が泥沼化していったのです。クロアチア人(人口の17%) … セルビア人支配のユーゴ連邦からボスニアを独立させたい派!ムスリム人(44%)… 独立はしたいが、クロアチア人とは宗教が違う派!セルビア人(33%) … ボスニア国内では少数派なので、なんとかボスニアから独立したい派!
ボスニアの首都サライェヴォは、1992年4月5日から1996年2月29日までの長期間、セルビア人勢力によって包囲され、食糧不足から悲惨な状態が続き、砲撃で破壊されました。冬季オリンピックの時に作られた施設の多くもこの時破壊され、町は荒廃に任される状態となりました。
1995年、国連がクロアチアの独立を認める一方、クロアチア側は国内の一部をセルビア人居住区として分離してセルビア共和国へ併合することを認めるという形で合意。これによりクロアチア紛争は終結しました。
そしてボスニア紛争も、国土をクロアチア人・ムスリム人の国としての「ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦(首都サラエボ)」とセルビア人の国としての「スルプスカ共和国(首都バニャルカ)」に分離することで終結しました。
(この2つの国をあわせたボスニア・ヘルツェゴビナという連邦国家が現在も存在しています。)
さて、これまで全く話に出てこなかったマケドニアも独立紛争を経て1992年に独立していたので、この時点でユーゴスラビア連邦はセルビアとモンテネグロの2つとなりました。
そして2002年、ユーゴスラビア連邦はセルビア・モンテネグロという共同国家という形に変え、さらに2006年にモンテネグロが独立したことにより、セルビアも自動的に単一国家となり、ついにユーゴスラビア連邦は名実ともに消滅したのでした。
何とも複雑な歴史を持っている旧ユーゴスラビア諸国ですね。
そして、ボスニアは最近まで内戦のあった国です。内戦を終えてまだ日の浅い20年余。
モスタルの建物にも多くの銃痕が見受けられました。
私たちの街中でもしこんなことが起きたら…と考えると恐怖に怯えてしまいますよね。
建物がこのまま残されているということは、内戦のことを忘れてはいけないということなのでしょう。20年余ということは、そう昔の話ではありません。うーん。
街中には合唱の手とピースマークのスプレーアートが。何だか考えさせられました。やっぱり平和が一番ですね。
(長くなってしまいすみませんϵ( 'Θ' )϶)
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