久しぶりの投稿になってしまった。
この1ヶ月は就活のストレスと長期インターンの精神的ストレスからだいぶ解放され、とにかくバイトをしていた1ヶ月だった。
その中でも新しい気づきや考えたことは沢山あった。
そのひとつが「論理的と合理的はイコールではない」ということだ。
もちろん言葉が違うので当たり前でしょ、と思うかもしれないが、ここが混在している人はかなりいるんじゃないかと思う。
私たちの世代はほとんどの人がMBTI診断をやったことがあり、初対面の場面でも自己紹介に含まれるくらい、自分のパーソナリティを表すひとつとなっている。
友人の中には、このMBTIと付き合いたい(逆も然り)から出会った時に聞いたり、アプリなどをやる際にまずそこを見る、という人もいるくらい、相手がどのような人なのかの大枠を捉える目的でも使われることのあるものだ。
そこでそのMBTIの3文字目、FまたはTどちらかについて考えたことを記したい。
3文字目の部分は、分かりやすくいうと「問題が起きた時にどのように対処するか」というパーソナリティを表している。
F型はいわゆる感情型で、相手に寄り添ったり共感したりする。
一方のT型は論理型で、感情よりも問題の原因や解決策を考えるといわれている。
カップル間では話し合いの際にこれが顕著に現れ、ここが違うと、お互いにモヤモヤが消えず更なる揉め事に発展しやすいからうまく行きにくいなどと言われている。
例えば彼女がF、彼氏がTだと
彼女は一旦は共感して欲しい、寄り添って欲しいと思っていても彼氏側はどうやったらその問題を解決できるかについてしか言及しないため、彼女にとっては気持ちを蔑ろにされているように感じ、彼氏からするとその時間が無意味だと感じてしまう、といったような事が起きる。
ここで今回の主題なのだが、私は論理的🟰合理的と勘違いしているT型が多いのではないか、と考えている。
主語が大きくなってしまったが、もちろん全員に当てはまるわけではない。言い方は強いかもしれないが、未熟なT型、言い換えると「自分がT型であること(論理的であること)が好きで誇りを持っているT型」にこれが当てはまっていると感じる。
社会では度々F型T型論争が繰り広げられているが、T型はF型を馬鹿にしている様子がよく見られる。
感情ばかりを優先させてもなんの解決にもならないし、時間の無駄だ。論理的に考えられるということは頭が良いということなので、感情的になったり察してをするF型は馬鹿だ、というような意見だ。
たしかに仕事上での1人で行うタスクという目線で見た時、感情論はいらないかもしれないし、物事を論理的に考えられる人の方が仕事ができるのかもしれない。
ただ、繰り返しになるが論理的であることは合理的とは限らないと私は思う。
ここを混在させて論理的であることに誇りを持ち、それが正と言わんばかりの人がかなりいるので、そこは違うのではないかと思っている。
なぜそう思ったかというと、シンプルに論理的であり続けることが仕事や人間関係の障壁になることがあると考えるからである。
前述したようなT型の人は、何か問題が起きた時にその理由や解決策に注目し、「相手を不快にさせた、悲しませた、周りに気を遣わせた」などのことに対して謝罪がなかったり、そこに気づいていなかったりする。
理由や解決策を考えることが論理的で合理主義だと本人は考えているかもしれないが、その渦中で人間関係が崩れていたり、今後の自分のためにもすごく不合理なことをしたりしていると感じる。
T型の人はよく、日本はF型社会だから生きずらいと言っているが、これはこの不合理さからきているのだ。
しかし、その行動から嫌われたとしても「理解してくれないorできない周りが悪い」となるので関わり方が難しい。
徹底的な自分が正しいという自信と、そこから来る周りへの見下し、それに伴う他責が生きずらさの原因だ。
客観的に見たら生きずらいのは自分達のせいだとわかるはずで、そこが理解できている成熟したT型は、スムーズに事が進むよう(合理主義的に)F型を演じたり、自分の主張を抑えたり、相手の考えを受け入れたりすることができる。
ただ、多くの人は生きずらいのは周りのせいだと心から思っているし、自分はそんな論理的な自分が好きなので変える気もない。
F型とは一生分かり合えないな、とつくづく思う。
もちろんF型擁護な訳ではない。F型も感情を振りかざしていい訳では無いし、察しては良くない。自分の気持ちや考えを言語化して説明する努力はするべきだし、論理的なT型を嫌悪することはするべきではない。
お互いが相手の立場に立ち、(それが出来ないのであれば俯瞰して客観視できるようになり)時には寄り添う姿勢も大切だ。
MBTIができたことで、自分のパーソナリティを自分も相手も簡単に理解できるようになった反面、それを振りかざしてどっちが上か、どっちが良いかという不毛な争いも起きている。
そんなことから離れ、時には合理的に、時には不合理をも楽しみながら生活出来たらいいな、と思った。