清朝の頃。
北京で茶商を営んでいた陳古秋は、南方の茶葉を幾つか仕入れて茶品大師を招いていた。
南方の茶葉を北方へ売るのに、どの様なお茶が良いか相談する為だ。
南方の緑茶に惚れこんで、どうにか北方へと売り込みたかったが、輸送に時間がかかり過ぎてどうにもうまくいかない。
いつも古秋が世話になっている馴染みの大師はお茶が大好きで、各地の茶を飲み歩いているから、何か良い方法が聞けるかもしれない。
現れた大師は挨拶もそこそこに、まずは茶を見せろとニコニコと笑って椅子に座る。
本当にこの人は茶が好きなのだと思いながら、古秋は用意した茶葉を広げると、大師は楽しそうに茶葉をつまみ、香りを嗅いでいく。
茶を淹れながら、南方の茶を北方に売りに行った話をしてみた。
「実は、香りの良い緑茶葉が手に入って、北方へ売りに行ったのですが。」
「北方ではその茶は香りが殆ど無かっただろう?」
「はい、茶葉を油紙に包んだりしてみたのですが……やはりダメでした。」
「緑茶か……残念だが、時間がたつと緑茶の香りは飛んでしまうからな。やはり、売るにはある程度発酵させた物が良いだろう。」
「南方で飲む、あのみずみずしい香りを北方の方々にも楽しんで貰いたいのですがね。」
先生はニコニコと笑いながら、白く長いヒゲをしごいて、仕入れた茶の袋を眺めている。
「おや?この包みは?」
「あぁ…それは頂き物です。」
「まだ開けていないのか?」
「それがすっかり忘れてて。」
「おいおい、それでは茶が可哀想だ。どれ、淹れてみようじゃないか?」
「どんな物かわかりませんよ?」
大師は構わないと笑って包みを開ける。
良い仕事をほどこした茶葉だとわかったが、古秋は正直不安だった。
洗茶をし、湯を注ぐと南方で嗅いだ茶畑の香りがふっとよぎる。
茶杯に茶を注ぐと、馨しい茶の香りが部屋いっぱいに広がった。
驚いた。
冴えない包みの中の茶が、絶品であるとは思いもしなかった。
更に驚いたのは、その馨しい湯気のなかから白い花を捧げ持つ一人の少女が浮かび上がったのだ。
少女はゆっくりと古秋に微笑みかけて、やがて湯気の中へと消えていった。
不可思議な出来事に慌てて、大師の方を見ると、やはり大師も目を見開いて驚きの表情を浮べていた。
「……せ、先生!」
「おまえ……これは報恩茶ではないのか?!」
「報恩茶?!」
「余程徳を積んだ様だな。何か身に覚えはないのか?何処で手に入れた?」
「……実は………」
古秋は大きく息をついて、ゆっくりと話し始めた。
3年ほど前、南方の茶農家を尋ね、茶を仕入れに行った時。
宿をとり休んでいると、夜に村外れにある茶農家の少女が古秋を尋ねてきた。
茶畑で働くその少女を見かけた事はあったが、直接の面識はない。
だが、わざわざ尋ねてきたのには訳があるのだろうと話を聞くと、昨日たった一人の肉親である父親が亡くなったのだと言う。
お金がないため埋葬も出来ず寝床に寝かせたままなので、どうか埋葬する為に少しで良いので金を貸してもらえないかと、涙を堪えながら頭を下げてきた。
古秋も早くに肉親を無くしており、まだあどけない少女がこれから一人で生きて行く事を思うと、いたたまれなくなった。
手持ちの金を渡し、村人に話しを付けて、父親の葬儀を行い、今後の少女の面倒をみるよう取り計らった。
そして、今年。仕入れのため同じ宿屋を尋ねると、件の少女から預かったと宿の主人から茶の包みを渡されたのだ。
残念ながらその時は急ぎの旅路で、少女に会いにいく間もなく、頂いた茶も荷物に紛れて今日まですっかり忘れたままになっていたのだが。
「そうか……。」
と、話しを聞きながら、大師はゆっくりと茶を飲み干した。
古秋も、手の中にある茶杯を口に運んだ。
夜も明け切らぬ頃から茶畑で仕事をする少女の姿が脳裏に浮かぶ。
髪に茉莉花の花を差して働く少女の姿を。
もう一度茶器に湯を注ぐと、再び湯気の中からあの少女が現れて、白い花を古秋に捧げるようにして微笑み、そして消えて行った。
またも古秋は困惑し、大師を見たが、大師はすでに何かを察した様に澄ました顔をしている。
「あの花は何の花だったかな?」
困惑した古秋をよそ目に、独り言のように大師は呟いた。
「あれは…茉莉花ですよ。南方で見られる、香りの良い花で……でも、なんで茉莉花なんでしょう?」
「私は知らぬ。茶の精霊が問うているのはお前なのだから、自分で考えろ。」
「茶の精霊が?」
少女ではなく、茶の精霊が少女の姿を借りて問うているのか?
古秋はふと南方の宿屋を思い出していた。
宿屋の庭には茉莉花の木が植わっており、花の時期になると部屋にもその香りは漂ってきた。
古秋は宿で茶を飲みながらその茉莉花の香りをかぐのが好きだった。
茶の風味と茉莉花の香りは、相性が良い。
もしやと古秋は顔をあげた。
南方の緑茶は香りが飛びやすいが、同時に香りが移りやすいものである。
あの茉莉花の香りを茶葉に移せはしないだろうか……。
「どうやら、おまえの答えは見つかった様だな。」
大師は微笑みながら報恩茶を入れ直した。
しかし、馨しい湯気が立ち昇るだけで、あの少女は二度と現れる事はなかった。
*************
ジャスミン茶に伝わる昔話を私なりに脚色してみました。
読んでくださりありがとうございます。
北京で茶商を営んでいた陳古秋は、南方の茶葉を幾つか仕入れて茶品大師を招いていた。
南方の茶葉を北方へ売るのに、どの様なお茶が良いか相談する為だ。
南方の緑茶に惚れこんで、どうにか北方へと売り込みたかったが、輸送に時間がかかり過ぎてどうにもうまくいかない。
いつも古秋が世話になっている馴染みの大師はお茶が大好きで、各地の茶を飲み歩いているから、何か良い方法が聞けるかもしれない。
現れた大師は挨拶もそこそこに、まずは茶を見せろとニコニコと笑って椅子に座る。
本当にこの人は茶が好きなのだと思いながら、古秋は用意した茶葉を広げると、大師は楽しそうに茶葉をつまみ、香りを嗅いでいく。
茶を淹れながら、南方の茶を北方に売りに行った話をしてみた。
「実は、香りの良い緑茶葉が手に入って、北方へ売りに行ったのですが。」
「北方ではその茶は香りが殆ど無かっただろう?」
「はい、茶葉を油紙に包んだりしてみたのですが……やはりダメでした。」
「緑茶か……残念だが、時間がたつと緑茶の香りは飛んでしまうからな。やはり、売るにはある程度発酵させた物が良いだろう。」
「南方で飲む、あのみずみずしい香りを北方の方々にも楽しんで貰いたいのですがね。」
先生はニコニコと笑いながら、白く長いヒゲをしごいて、仕入れた茶の袋を眺めている。
「おや?この包みは?」
「あぁ…それは頂き物です。」
「まだ開けていないのか?」
「それがすっかり忘れてて。」
「おいおい、それでは茶が可哀想だ。どれ、淹れてみようじゃないか?」
「どんな物かわかりませんよ?」
大師は構わないと笑って包みを開ける。
良い仕事をほどこした茶葉だとわかったが、古秋は正直不安だった。
洗茶をし、湯を注ぐと南方で嗅いだ茶畑の香りがふっとよぎる。
茶杯に茶を注ぐと、馨しい茶の香りが部屋いっぱいに広がった。
驚いた。
冴えない包みの中の茶が、絶品であるとは思いもしなかった。
更に驚いたのは、その馨しい湯気のなかから白い花を捧げ持つ一人の少女が浮かび上がったのだ。
少女はゆっくりと古秋に微笑みかけて、やがて湯気の中へと消えていった。
不可思議な出来事に慌てて、大師の方を見ると、やはり大師も目を見開いて驚きの表情を浮べていた。
「……せ、先生!」
「おまえ……これは報恩茶ではないのか?!」
「報恩茶?!」
「余程徳を積んだ様だな。何か身に覚えはないのか?何処で手に入れた?」
「……実は………」
古秋は大きく息をついて、ゆっくりと話し始めた。
3年ほど前、南方の茶農家を尋ね、茶を仕入れに行った時。
宿をとり休んでいると、夜に村外れにある茶農家の少女が古秋を尋ねてきた。
茶畑で働くその少女を見かけた事はあったが、直接の面識はない。
だが、わざわざ尋ねてきたのには訳があるのだろうと話を聞くと、昨日たった一人の肉親である父親が亡くなったのだと言う。
お金がないため埋葬も出来ず寝床に寝かせたままなので、どうか埋葬する為に少しで良いので金を貸してもらえないかと、涙を堪えながら頭を下げてきた。
古秋も早くに肉親を無くしており、まだあどけない少女がこれから一人で生きて行く事を思うと、いたたまれなくなった。
手持ちの金を渡し、村人に話しを付けて、父親の葬儀を行い、今後の少女の面倒をみるよう取り計らった。
そして、今年。仕入れのため同じ宿屋を尋ねると、件の少女から預かったと宿の主人から茶の包みを渡されたのだ。
残念ながらその時は急ぎの旅路で、少女に会いにいく間もなく、頂いた茶も荷物に紛れて今日まですっかり忘れたままになっていたのだが。
「そうか……。」
と、話しを聞きながら、大師はゆっくりと茶を飲み干した。
古秋も、手の中にある茶杯を口に運んだ。
夜も明け切らぬ頃から茶畑で仕事をする少女の姿が脳裏に浮かぶ。
髪に茉莉花の花を差して働く少女の姿を。
もう一度茶器に湯を注ぐと、再び湯気の中からあの少女が現れて、白い花を古秋に捧げるようにして微笑み、そして消えて行った。
またも古秋は困惑し、大師を見たが、大師はすでに何かを察した様に澄ました顔をしている。
「あの花は何の花だったかな?」
困惑した古秋をよそ目に、独り言のように大師は呟いた。
「あれは…茉莉花ですよ。南方で見られる、香りの良い花で……でも、なんで茉莉花なんでしょう?」
「私は知らぬ。茶の精霊が問うているのはお前なのだから、自分で考えろ。」
「茶の精霊が?」
少女ではなく、茶の精霊が少女の姿を借りて問うているのか?
古秋はふと南方の宿屋を思い出していた。
宿屋の庭には茉莉花の木が植わっており、花の時期になると部屋にもその香りは漂ってきた。
古秋は宿で茶を飲みながらその茉莉花の香りをかぐのが好きだった。
茶の風味と茉莉花の香りは、相性が良い。
もしやと古秋は顔をあげた。
南方の緑茶は香りが飛びやすいが、同時に香りが移りやすいものである。
あの茉莉花の香りを茶葉に移せはしないだろうか……。
「どうやら、おまえの答えは見つかった様だな。」
大師は微笑みながら報恩茶を入れ直した。
しかし、馨しい湯気が立ち昇るだけで、あの少女は二度と現れる事はなかった。
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ジャスミン茶に伝わる昔話を私なりに脚色してみました。
読んでくださりありがとうございます。

