ド直球返しのムスメ。 | 長女Aは、夢を見る。

長女Aは、夢を見る。

長女A(満50歳)
父と同居を始めてみた。

大学生の息子×2
父の愛犬
ワタシの愛猫

楽しいことばかりじゃないと
重々考えてのことだったけど

想定以上の毎日に
もう笑うしかないわけで。

いや、ほんとは泣いて怒ってばかりだけどさ。

 

 

 

 

 

 

一平よ………

 

まだ事実詳細わからないので

今はこの一言だけつぶやかせて………ネガティブ

 

 

それとも他に事実が…?

 

 

 

 

 

 

認知症の父との日々を書いています

現在、要介護1認定の父(77)との日々

 

認知症?と気づく少し前からのこと

レビー小体型認知症と診断を受けたあとのこと

今の日常のどーでもいいこと

 

書くことで

何かが変えられたらいいな、って

思ってるんでしょうね、ワタシは。
 

 

 

 

 

夕飯どき

食卓は父とふたりのことが多い。

大学生の子ども二人は帰宅が遅いから。

 

 

なんとか父がおネムになる前に、と

仕事から帰ってそのままキッチンに立つのだが

毎日がここを乗り切るまで

ラストスパートだ。

 

 

 

火曜はそれでもいつもより遅い時間

仕方なく奥の手の

父だけ先に食べさせることにする。

 

冷凍の具入り味噌煮込みうどんを

一人用の土鍋にぶち込み

長ネギと鶏肉と玉子を追加して煮込むだけ。

その間ににんじんのしりしりを大量に作る。

 

 

15分後、父を呼ぶと

手に何かの紙を持ってきた。

デイサービスでやっているという

クロスワードパズル。

 

 

前からやっているのは聞いていたが

持ってきたのは初めて。

ワタシ結構好きなんだーつい問題解いちゃったw

 

 

おじいちゃん「これなぁ、毎回配られるんだけどさ

お隣の(席の)ばあさんと

相談しながら頑張ってるのな」

 

「いいじゃん、頭使うし楽しいじゃん」

 

「まぁなー

おじいちゃんあーでもない、こーでもないって

結構たいへんなんだわ」

 

「へぇ………」

 

 

(今日は冴えてそうだなあ←心の声)




父は夕飯を食べ始めるが

ワタシは子どもたちの分をそのまま作るので

作業しながら話を聞く。

 

 

 

そして突然の質問が始まる。

 

 

 

おじいちゃん「この認知症っていうのは、

ここからどうなって

最後はどうなっていくもんなの?」

 

 

 





久しぶりにキタわー

なんかわからないけど、時々突然来るのよ。

ド直球の真面目な質問

 

 

前回は確か

 

 

「この病気は

俺がどういう状態になったら

完治したってことになるの?」

 

だったかな。

これはちょっと父の「認知症は治る」という思い込みなんだけど。

 

 

頭が冴えてるとき、っていうか

何かそう思うきっかけがあるんだろうね。

 

 

そのときどきでワタシは真面目に答える。

 

 

その日もそうだったんだけど

これ、後から振り返って

ほんとに冷たい娘よなぁ、と思う。

オブラートとか

笑い飛ばすとか

優しい嘘とか

普段は他のときにはできるはずなんだけど

 

 

父だからなのか

もはや、意地悪なのか。

意地悪は違うか………

 

 

そういえば、母のがんのときは

一緒に余命宣告を受けるまで

受けてからも

自分の出来うる限り心を砕いて

受け答えしていたのになぁ、と振り返ったり。

 

 

 

なのにそのときは。

 

 

 

「そうねぇ、今でもあるけど

少しずつ忘れちゃうことが増えていくんじゃない?

人の顔とか名前とか…

 

例えば

弟①が会いに来ても

名前もわからなくて「誰?」ってなるとか?」

 

 

おじいちゃん「ほぉ」

 

 

父の受け答えはたいがい明るい。

だから楽観的にこっちが受け止めてしまうことも

あるだろうと今は思う。

あ、父が心身調子がいいときね。

 

 

「例えば、(母方のワタシの祖母)キクノさんが

老人ホームにいるとき

会いに行ったワタシを見て

『セツヨ(ワタシの伯母)か?きてくれたんか(嬉)』って

言ったのよ

そういう感じ?」

 

 

おじいちゃん「ほぉぉ、なるほどな」

 

 

「でも、そういう風になると

逆に

忘れてしまって哀しい、とか

覚えてないことだらけで辛い、とか

そういうのもなくなるんだと思うな

それが普通になるっていうか」

 

 

おじいちゃん「逆にな!」←素直

 

 

「おばあちゃん(キクノ)

毎日楽しそうだったらしいねぇ」

 

 

おじいちゃん「なるほどなぁ、

そういう気持ちにならないってことか」

 

 

「知らんよ?アセアセ

ワタシにはそのときの気持ちわかんないから

でもさ、逆に辛いのはさ

頭や記憶がハッキリしてるのに

身体が動かないとか

内臓とかが悪くなって

食べたいと思うものが食べられなくなったりさ

そっちじゃない?

 

だから

転んで骨折とか絶対ダメだし

食べ物とかに気を付けて

病気にならないように

頑張らなきゃじゃない!?

 

 

 

おじいちゃん「おぉぉ、なるほどな!

それはそうだな!」←素直すぎる

 

 

 

 

見て、この強引な着地を。

 

 

転倒に気を付けて体力付けて

食べ物に気を付けて

身体が元気でいるほうが

大事じゃない!?という刷り込み(希望)。

 

 

これで

認知症が進む恐怖を拭い去れたとは

到底思えない。

だけど

そっちのが大事だって

 

思ってほしいなぁ…

 

 

 

やっぱり怖いのかなぁ

 

 

 

 

 

少し前にブログで見かけた

「本人に認知症だと告知したほうがいいのか」

っていう介護してる方の気持ち。

親の気持ちを考えて悩んでいらっしゃった。

 

 

ワタシはこれにも

父の直球に直球で答えていたので

「ほんとにワタシとは…魂が抜けるダウン」と

思ったりしたんだよねぇ。

 

 

これに関しては

診察のとき

病院の先生は「レビーでぇ」とか

「アルツハイマー併発だとー」とか

「認知症」ってワードを使わない感じだったのと

(ただ、この先生の専門用語的な話方だったのだと後に思うね)

 

ケアマネ先輩が

父と話すときは「認知症」を

避けて話していたことが気になってて

 

 

ある日ケアマネ先輩に

父がいないときに

「本人に『認知症だよ』って言わないのは

理由があるんですか?」

って、質問したのね。

 

 

そしたら

「はい、言いません。

なぜなら

言ってもいいんですが

言ったとして

イイことはひとつもないからです

 

 

と、即答された。

それがセオリーです、と。

 

 

「なるほど」と

返すしかなかった。

 

 

 

この直球返しを

なんとかせねばならんな…

父の今は落ち着いてる状態だから

こうなってるけど

 

 

そうでなくなったら

こうはいかないもんね…