おぼんはじごくのかまがひらくから、みずべにいってはいけない。
わたしがちいさいころは、おとしよりからそういわれていた。
かわあそび、うみにはいることなどをいましめる。
とかいではたらくひとがふえ、かくかぞくかがすすみ、
だんだんとそういうはなしをするきかいがなくなり、
そういうはなしをするひとがへり、
そういうはなしがあることをしらないひとばかりになる。
おぼんがどういう期間なのかをしるひともへり、ただのなつやすみ、れじゃーのための期間になっていく。
それがわるいというわけではないけれど、ある期間においては、やらないほうがいいことがあるとしらないとふつごうなことがおこるかのうせいがある。
ただの迷信であるけれども、迷信や言い伝えが生まれた理由もどこかにあるのだ。
いなかでそだつとそのいなかどくとくの、もっとこわいというか、ぐたいてきないいつたえがあったりするんだよね。
それをじもとみんは、ふつうのかいわとしてしていたけれど、ふとよそもんがきいたら、おそろしいかいわだなぁとおもったものがあったのでした。