Snow white ~さよなら 先生

Snow white ~さよなら 先生

はじめまして 日記という形で、香川先生との出逢いから別れの3年半を回想させていただきます。 

この日記
「Snow white ~さよなら 先生」

私が好きになって愛した 香川先生との短い

私の7冊の日記帳をもとに 回想し書きおこしているものです。

愛しい先生のことを思い出すと 今でも胸が締めつけられそうになります。

今はもう 遠い空の彼方にいる先生と過ごした

過去を辿るたびに 香川先生が居ないことを思い知らされて

ひとり勝手に泣いたりと とても後ろ向きな日記です。

えっちなことを書く時もありますので お気に障ればすみません。

コメントに関してですが 承認制を取らせていただいています。

申し訳ありませんが 

載せる載せないの判断は 私にさせて下さい。


                              

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ひとり娘のまなみが


この世を去ってから、2度目のお盆を迎えました。




娘の残したこのブログを見る機会も


日々の生活に追われてかとても少なくなりました。


ですが、娘亡き今も


私に宛てて、メッセージやコメントをくださる方に


何のお礼もしないままなのは、とても失礼なことだと思いました。


個々にお礼をするのが筋だと思うのですが


それができなくて、本当に申し訳ありません。


メッセージ等、たくさんいただきまして本当にありがとうございます。




最近、おひとりの方にメッセージをいただきました。




Rさん と させていただきます。


娘は、まだ元気だった頃に


Rさんと、ブログを通してほんの少し交流をしていたようです。


愛する人の急逝という、あまり誰もが直面しないことを


同じように経験し苦しい思いをしている、少し年下のRさんを


娘曰く「私が勝手に思っていいるだけなんだけど 私の妹」


そういって話してくれたことがありました。




「なあ お母さん


ほとんどのみんなは、別れでもせん限り好きな人と一緒になれるのに


うちはなにがダメだったんじゃろ


あっちゃんは、天国の学校の先生になるために選ばれたって言うけど


この世の学校にだって必要な人じゃのに


うちにだって必要な人じゃのに




Rちゃんの彼も まだ若うて元気だったはずじゃのに  


神様は、時々間違えた人を連れて行くんじゃね」


そう言って少し不満そうに頬をふくらませる娘に


私は、神様だって間違うこともあるんでしょう


ことがことだけに、間違えても元には戻せないんでしょうね


そのようなことを話したのを覚えています。


今となっては、私も「神様の間違い」というものを


正直うらめしく思ってしまったりします。




今年は、想像の範囲を超えるような地震


『東日本大地震』が発生して


多くの方の尊い命が失われました。


大きな津波に襲われた街のその爪痕を


映像で見るたびに、胸がしめつけられそうになります。


あの地震さえなければ、以前と同じような生活がそこにはあったでしょう。


でも、その穏やかな生活は地震で一瞬にして消えてしまった。


その無念さ、悔しさ、せつなさ


実際に被災していない私が、簡単にその想いを「わかる」とは言ってはいけないと思います。


わたしにできることは、いのちの大切さを思い知り


つないでゆくこと、ただそれだけだと。




まなみは、母親の私よりも早くに神様のもとに召されましたが


Rさんは元気でいてくれて本当にうれしく思います。


年を重ねるほどに、生きていて嫌になることも多いと思います。


自分の存在のちいささに嫌気がさすこともあるでしょう。


でも、人間「生きていてなんぼ」です。


生きているだけで、それだけで価値があるものなのです。


きっと、今のあなたのことを


娘はきっと、妹を見るようなまなざしで見守っていると思います。


向こうの世界で知り合った人同士で、あれこれ話をしながら。




天国にいる、まなみへ



まなみがそっちに行って


早いもので、五ヶ月ですね。


じきにまなみ、あなたの初盆がやってきますよ。

 


まなみ


あなたはこどものころから病弱で

大人にはなれないかもしれないといった旨の話を


お医者様からされた事もあったから

大人に成長したあなたを見る事が出来ただけでも

私には、神様からの大きな大きな贈り物だった。




あなたが


大きく成長するさまをまのあたりにして


「あの頃、まなみを診てもらったお医者様のお見立ては大ハズレだったわね」


そう言って笑う私を見て

あなたが大好きだったパパが、うれしそうな顔をして


「ホンマやな まなみはこんなに元気になったのになぁ」


そう言って高笑いしていたのよ。



まなみ

あなたが高校生になって

今思うと、人生のすべてを凝縮し謳歌している途中なのか

想う人があらわれたようで

親である私が見ても、あなたは眩しく輝いていた。

人を愛する喜び、幸せ


愛される喜び、幸せにつつまれたあなたが

好きになった子は、どんな男の子だろう


うちに、遊びに来てくれたりはしないのかな?


世のお母さんと同じように、私もワクワクしていたんだけど

その『想い人』とのご対面は、本当に突然で

それに、何もかもが予想外で驚くことだらけだったわね。



ああ、本当に懐かしいわねぇ

篤史くんのことは、本当に息子みたいに思っていたけれど

年の暮れに、我が家に初めて来た時は

どうなることかと思ったわ。


まなみ


あなたのパパは、あなたの事が本当に可愛くて大切で


(もちろん私だって同じよ)


あなたはかけがえのないたからものだったの


だからあなたに、突然彼氏がいると知っても驚いたし


その相手が、高校の教科担当の先生なんて知ったら


それはもう、平常心で居ろという方が無理な話で


長い間、夫婦として同じ時間を過ごしてきた私も


あんなに激高したパパを見たのは、あの日が最初で最後だった。



でも、篤史くんの誠実な人柄は


少し話しただけで、すぐにわかったから

将来、娘のあなたを任せても大丈夫だって

私だけじゃなくて、じきにパパも思ったみたい。


それでも、大切なひとり娘のあなたの胸の中が


篤史くんのことでいっぱいになっているのがわかって


何とも言えない、複雑な心境でいるのが


私には、おかしくもありせつなくもあったから

そんな時には、ちょっと晩酌のおつきあいをしてみたり


電話で泣きごとを聞いてあげたりしていたの。



まなみ

私の夢に出てきてくれたことがあったわね。


あれは確か、あなたの四十九日が終わった頃だった。


白いワンピースを身にまとったあなたは


ひとりじゃなくって、そばには篤史くんが寄り添っていた。



「ママよりも早くこっちに来ちゃってゴメンね…」



そう言って私に謝るあなたを見たら

私の目から涙が止まらなくなってしまって

話しかけたいのに、うまく言葉にならなくて

何も言えないでいる私に、篤史くんが



「お母さん、まなみの事は僕に任せてください」

そう言ったんだったわね。



うちに来て、私達親の前で同じような事を言ってくれた


あの時と同じ顔、精悍ないい顔をしていた。









しまっておいたお盆の提灯を出しながら

まなみ

あなたのことを思い出していたら

あなたが綴っていた、ブログのことをふと思い出した。

あなたが、篤史くんのことを想いながら


たくさん想い出を綴っていた場所



あらためて読み返しているうちに

母である私も、あなたのことを書いてみたくなったの。

「もう お母さんっ」

そう言ってあなたは怒るかもしれないけど

たまに、ちょっとだけあなたの事を書かせて頂戴ね。









前略




私は、「広瀬カナ」の母親です。




娘がアメブロというサイトで


ブログを開設している事を


2年程前に


本人から聞いておりました。

その時は


「どんなブログなの 見たいから教えて」


私は娘に聞いたのですが

「恥ずかしいから内緒、でも普通の日記だから。」


娘は、そう言って笑うだけでした。







一人娘の「カナ」は

三月のよく晴れた日に

大好きだった篤史君のもとへ 旅立ってゆきました。






お医者様には早くに 

娘の余命を告げられていたのですが


まだ親として、気持ちの整理がついていなくて


これだけ述べるのが精いっぱいです。


申し訳ありません。

病床で、このブログを気にかけていた


娘の書き残していた言葉に

ここへ代わりに、結びの言葉を書いておいて欲しいとありました。


ここを見つけて、読み進めてゆくほどに


涙が止まらないでいます。




こちらをご覧くださり、コメントやメッセージをくださった方々には


娘ともども、ただただ感謝するだけです。

本当に、本当にありがとうございました。




娘は


大好きだった篤史君と

今頃一緒に居るのかもしれません。





草々





2010年が明けましたね
今さら

『明けましておめでとう』のご挨拶をするのも

恥ずかしいほどに日数が経ってしまいました。
本当に 御無沙汰をしていました。

月に1度も更新しなくなってしまったこのブログに

コメントをいただいた方や

ペタをつけてくださる方には
お返しできなくて 申し訳ない限りです。

メッセージをくださった方も 本当にありがとうございました。


この年末年始は 実家に帰ってゆっくり過ごさせてもらいました。
(ゆっくりしすぎてこの始末な訳です…)



あの頃へのタイムスリップも

初夏を過ぎて 
じめじめした梅雨の時期が過ぎると
本格的な夏の到来です。
天気予報ではまだ『梅雨明け宣言』がされていませんが
7月に入ったので 
もう じきに明けるはずと

私は心待ちにしていました。

その頃には 大学は夏期休暇に入るので

実家に帰る つまり先生が住むあの街に帰省するから
先生といっぱい逢えるからです。

6月の頭に 大阪に来てくれたあとの先生は

色々な仕事があって とても忙しいみたいでしたが
夏休みに 私と行く沖縄旅行を思うと

「このぐらい忙しい思いをしたって平気や」と
電話の向こうで笑っていました。
先生は 本当にタフな人です。

6月 しばらくしてから 土日を使って

私は一度 帰省をしていたのでした。

母方の祖母が 具合が悪いとのことで

母がこっちに来ていたのですが

両親とお見舞いに行ったあと
3人で 父の運転する車で実家に帰ったのでした。

「なに カナも一緒に帰るの?
お目当ては 篤史くんに逢うことじゃろ?」

父がいない時に 母が私にそっと言ってきましたが
それは図星です その通りなんです。
でも 冬物を実家に置きに行くという

ちゃんとした目的もあるのですが

そんなの 荷作りだけしておけば

別に私が行かなくても困るものではありません。

「え・・・ あ
うちが一緒におったら邪魔?」


照れ隠しに 逆に訊き返すと
母が私の髪の毛を くしゃっとしてきました。

「そう 邪魔邪魔 
せっかくパパとふたりっきりじゃのにね・・・
カナは お洋服と一緒にうしろに乗るんよ

助手席はお母さんの指定席じゃからね。」

そう言えば 母と私は昔から助手席を取り合っていました。
私が「おませさん」と言われはじめた 
ちいさな頃からです。

「そんなん わかってる
うちにはもう ちゃんと指定席があるんじゃもん
ふたつもキープしたら 神様に怒られるし・・・」


先生の車を思い出しながら
母にそう答えました。

「俺の運転する車の助手席は

ず~っとカナちゃん専用の席やからな。」

先生は 私に何度もそう言って笑っていました。
だけど 実際にはそうはいかなくて
生徒を急きょ家まで送って行った とか
仕事で外出する時 同僚の先生を乗せて行った とか
止むをえない時は 
セリカの助手席には 色々な人が乗っていました。

そんなことを思い出していると
父が戻ってきていました。

家までの道のり 前の席で両親がしている会話に
はじめは参加していた私ですが
途中で この心地よい振動が眠気を連れて来たようで
いつの間にか 眠りに落ちているのでした。
そしていつしか 夢を見ていました。
先生とレオと 私とで
真っ青なオープンカーに乗って
ドライブしている夢でした。
レオと私が 助手席でぎゅっと抱き合って
現実には到底無理な姿勢でのドライブでした。

うつらうつらしていると
両親の話し声が聞こえてきました。

「・・・か カナは。」

「それなら大丈夫
篤史くんは カナのことも大切にしてくれとるし
それよりも 私らのこともちゃんと考えてくれとるんよ。」

「私らの って なんやそれは。」

「そりゃあ カナにきちんと大学卒業して欲しいって言う
親の思いよ
カナ自身がママになってしもうたら
K大は 辞めてしまわんといかんじゃろ
そんなことさせたらダメじゃってこと

篤史くんは ようにわかってくれとるんよ。」

私と 先生のことを話しているようです。

「そんなん当り前やろ
カナは やっとはたちになったばかりや
母親になんかなるの 10年早いわ!」


「パパ 10年は無いわぁ。」

「言葉のあややって そんなん

篤史くんが きちんとしたええ子ぉや言うのは
俺にやってようわかってる
でも 何もうちのカナやのうてもって思いが
正直まだあるんや・・・」

「パパ・・・」

「カナはちょっと前まで『パパ パパ』言うて
俺にくっついてきて お前と本気で俺のこと取り合いしてたのに
それが今では 篤史くんが何でも一番なんやから
・・・凹むで ほんま。」

「大丈夫じゃ パパ
カナが篤史くんと結婚して 子どもが生まれて
その子がもし 女の子じゃったら
篤史くんもまた 今のパパとおんなじ思いをするんじゃから
私が父さんのところに パパを連れて行った時から
何回も何回も おなじことが起きてるんよ
・・・次は 篤史くんの番じゃからね。」

「ほんまやなぁ
アイツも自分の可愛い娘 急に姿見せにきた男に
かっさらわれて行ったらええんや。」

そう言ったあと 高笑いする父なのでした。

「パパの顔 
なんか うれしそうじゃなぁ
カナが聞いたら 怒るんじゃないん?」

「そうか?
こんなんは 世の父親みんなの本音やろ?
可愛いひとり娘を いきなりかっさらっていかれるんや…
同じ目におうたらええんや って
思うやろ?
特に アイツ 篤史くんは急に来よってからに。」

母がくすくす笑っていました。

本当はもう目が覚めている私は 
眠ったふりをしながら ふたりの会話を聞いていました。
 

祖母のことと 母方の従姉妹のこと
父の住むマンションに 友人を訪ねて
阪神タイガースの野手の人が来たこと

偶然エレベーターで一緒になったのだけど
巨人ファンの父にはわからなくて
一緒にいた虎党の同僚がすぐに気づいて
サインをしてもらっていたことなど
他愛のないことを話していました。

そんな道中のことも 今では大切な想い出です。
母は幸い まだ健在ですが
父は すでに向こうの世界に旅立ってしまったので
こうして父の姿を思い出すと
私自身が いかに父と母に大事にされて育ってきたかを感じ
改めて 感謝と尊敬の思いが強くなるのです。

この1泊2日の慌ただしい帰省の折にも
先生は私に逢う時間を作ってくれました。
先生の部屋に【お泊り】するほど
お互いの時間に余裕がなかったので

(…と云いますか 私たち親子3人がそろう機会を
自分の手で奪ってはいけないだろうから と
先生が遠慮したようです)

先生のセリカで 日曜日の朝にドライブに連れて行ってもらいました。
私が大阪に戻るのに 午後に再び父の車に乗るから
長距離のドライブはあまりよくないなと言って
隣町にある公園に行きました。
その帰りに 少し寄り道をしてから帰宅したのです。

「カナ  愛してる・・・」

そう言って 私のからだを強く抱きしめながらキスをする
先生の熱い目を見つめながら
先生の逞しいからだにしがみついて
私からも 何度も何度も先生にキスをしました。

「うちも愛してる ・・・先生のこと愛してる。」

そう言ってキスをすると
先生がはにかみながら笑っていました。

「カナに『先生』って たまに言われるとゾクッとするなぁ・・・」

「そう?」

「そうや カナがまだ制服着てた頃のこと思い出してなぁ。」

たくさん たくさん先生から愛をもらって
私からも 先生にいっぱい愛を伝えて
ほんの短い時間に
愛されることだけでなく 愛することの歓びを教えてもらった
珠玉のような時間を過ごしたこの日のことは
両親のことも併せて とても大切な想い出の1日なのでした。