日々感じたことをつらつらと -2ページ目

日々感じたことをつらつらと

ブログの説明を入力します。

物事の特徴を100%理解する。これができれば、表現力はアップできる。


例える、置き換えるといった表現は古くから使われてきた表現ではあるが、今でも最前線で使われ、多くの人の心を惹きつけてやまない。


どうすればうまい例えができる?それは、そもそも例えるということについてしっかり理解することが重要だ。

例えるとは、AをBと表現するとは、Aの特徴と同じような特徴を持っているBで言い換えるということだ。「まるで君の心はこの大空のようだ」などわかりやすい例だろう。心の大きさと空の果てしなさ、そうした両者が持つ“広がり”という特徴を掴み、言い換えたのだ。


このように、多くの人に使われた表現なら特に難しさはない。しかし、新奇性、オリジナリティを求めるとした話は別だ。それは物事の特徴を真摯に見つめなければならない。同じ特徴を持つものを真摯に探さなければならない。

非常に骨の折れる作業だ。だが、労力を伴うからこそ、人の心を動かすだけの力を持った表現ができあがる。


最近、身の回りの物事への感度が落ちていると思う。このままではいけない、もっと周りに気を遣わなければ。

そうして、自分の心の中にある引き出しにたくさんの素材をしまってく。いつでも最高の表現ができるように。

書店に置いてあるような本は基本有名な著者のものばかりで、かつ非常に読み応えのあるものが多いのが常だ。それも当然で、本が著者から生活者まで流れるには出版社等のいくつかの段階を踏まなければいけないため、流通と関係の深い有名な著者は影響力は強いし、またその流れの間に本のクオリティが洗練されるために、市場に出回る本はクオリティが高い。


このことは本を享受する我々一般の生活者にとっては非常にありがたいことだ。もちろん、個人の価値観があるため、多少の当たりはずれはあるが、全く自身にとって役に立たないしょうもない本はそうそう出会うことない。本との出会いは自分を成長させてくれる。


しかし、もし自分が本を書きたい、送り手になりたい、と思った時はどうだろうか。自費出版という手はあるが、かなり敷居の高い行為であることには間違いない。その道とのリレーションがなければ実現は難しいのだ。

それは長く続いた出版業界の慣習であろう。ただ、様子が少し変わってきたようだ。


それが電子書籍の登場である。この衝撃は今後ますます大きなものになるに違いない。なぜなら、書籍のデジタル化はイコール流通に乗せて、具体的な形にしなくても生活者に届けることができるという、出版の敷居が下がったことを意味しているからだ。動画共有サイトが発展し、誰もが表現者になれるようになったことを意味したのと同じ、今後は誰もが本を書き、それを以て世界にメッセージを発信できることになったのだ。


とはいってもこのことが普及するかは、常識となるかは今後様子を見てみなければわからない。

しかし、本を出版したい人間が、今ここに一人いる。その事実だけは揺らがない。

新しい感覚に触れてみると実に面白い。自身の世界が拡張していくのを感じる。こうしたことはひとつの成長の形であろう。


本日は映画館にて、バイオハザードⅣを3Dを観てきた。初めての3D、いかがなものかと思っていたが、思った以上に自然に観ることができた。正直初めてなことを感じないくらい自然な体験だ。


今の3Dが、以前の3Dと比べて秀逸なところは前面に飛び出ることよりも、むしろ奥行きを持たせることだという。つまり画面を中心にして見事な遠近を表現できるということだ。私が今日初めてにも関わらず、違和感をほとんど感じなかった理由もここにある。つまり、意図的な3D表現ではなく、あくまで自然な立体感を表現することができるのが今の3D映画の技術なのだ。


そして、肝心の内容だが、非常にシンプルでわかりやすい。もちろん続き物であるため、ある程度は前作を観なければ疑問に思う部分もあるかもしれないが、物語の筋道に複雑さを持たせていないために、すんなり頭に入ってくるのは高評価だ。

しかし、一方で前作に比べると、深みがあまりないようにも感じる。バイオハザードなど、あの手の映画に特徴の心を驚かせる表現は正直少なく、ビビることを期待して観ていた私としては非常に残念だ。また、次回作へ繋げるための橋渡し的な作品なのだろうか、この映画では大きな問題に立ち向かわず、むしろこれから大きな問題に立ち向かっていくことになるという内容には物足りなさを感じずにはいられない。


とはいっても、久しぶりに観た映画、非常に息抜きにはなった。また明日から駆け抜ける!!