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NPO法人子どもグリーフサポートステーションのスタッフブログ

大切な人を亡くした子どものサポート活動を行う、子どもグリーフサポートステーションのスタッフブログです。

ホームページはこちら http://www.cgss.jp/

グリーフプログラムでは、子どもたちが遊んでいる間、別室で保護者の会も行われています。

その時間、保護者の方は子どもたちと離れて、自分の気持ちをお話したり、子育ての悩みを共有したりしています。

この時間を「月1回のごほうびの時間」だったり、「自分のためのメンテナンスの時間」と捉えている方もいらっしゃいます。


保護者の会では、お話だけでなく、クラフトや手芸、アートなどのアクティビティを一部取り入れることもあります。

何か手作業を入れることによって、お話のトーンを変えて話しやすくしたり、作業に没頭することでリラックス効果があったり、自分と向き合う時間になったりと、さまざまなねらいがあります。

特にクリスマスなどのイベントシーズンには、そのイベントに合わせたアクティビティを行うことがあります。

それは、ただ単に季節感を感じたい、という理由からではありません。

イベントシーズンを感じるアクティビティを行うことで、そのイベントシーズンに向けた心の準備ができるのです。


クリスマスやバレンタイン、父の日、母の日などのイベントシーズンは、グリーフを抱えた人にとっては、必ずしも楽しいイベントではありません。

クリスマスシーズンは、家族団らんや愛情がイメージされた広告や飾りが街中にあふれます。
テレビを見ていても、街を歩いていても、この時期になるとクリスマスシーズンを感じずにはいられません。
すると、「あの人と一緒に過ごしたかったな」など、喪失感を特に感じやすくなります。

父の日や母の日も同様、父母を亡くしている人にとっては、とても過ごしにくい日です。


イベントシーズンは、グリーフを抱えた人々にとっては、ちょっと心が揺れ動くシーズンなのです。


なので、グリーフプログラムでは、あえてイベントシーズンに向けた「準備」を行います。

心が揺れ動く日があることが予想されるのなら、事前に当日の計画を立てたり、準備をしたりすることで、軽減させることができるからです。

この時期であれば、簡単なクリスマスリースを作ることも、ひとつの準備になります。

落ち着いた環境で、自分で材料を選びとりながら、ひとつひとつリースの飾り付けをしていくことで、少しずつ少しずつ、心の準備をしていきます。

自分なりのリースが出来上がったら、持ち帰って家に飾ることで、イベントシーズンの準備をした実感を感じます。何も準備をしていないときとは、気持ちは違って来るかもしれません。

もちろん、やりたくない人や、ちょっと抵抗を感じる方は、無理にやる必要はありません。
ご自身が「やってみたいな」という気持ちになってから行うことが大事だと思います。



ハロウィン用のリースです。
10月の福島グリーフプログラムの保護者の会でリースを作りました。
難しそうに見えますが、材料をグルーガンでくっつけていくだけなので、意外と簡単にできます。


子どものプログラムでも同様、イベントシーズンに対応したアクティビティを行うことがあります。
父の日や母の日には、手紙や絵を描いたり、クリスマスツリーの飾り付けをしたり。

このような「準備」は、大人にも有効ですが、子どもには特に有効だとされています。


11月も後半に入り、もう既にクリスマスシーズンを感じることが増えてきました。
これからクリスマスに加え、お正月、バレンタインなど、さまざまなイベントが目白押しとなります。

心が揺れ動きやすいこの時期、ご自身の心を大事に扱っていただきたい、と願います。
前回の記事では「遊びの大切さ」について書きましたが、先日、グリーフプログラムに参加した子どもと印象的なやり取りがありました。


あるプログラムで、私はお父さんを亡くした女の子と一緒に遊んでいました。
その時、その子は私にふと「ねぇ、人って死んだらどうなると思う?」と聞いてきました。

私はそのとき、(ん…?死後の世界のことかな…?でもそんなこと私は知らないしなぁ…。何と答えたらいいんだろう…?!)と考え、困ってしまいました。

でも、グリーフプログラムでは、ファシリテーターは子どもをそのまま写し返すことが基本となるので、私は「う~ん…死んだらどうなるんだろうねぇ?」と聞き返しました。

すると、その子は、「人はね、死んだら天国に行くためのテストを受けなきゃいけないんだよ」と教えてくれました。

そして、その子のお父さんも今、テストを受けているのだそう。
プログラムに参加する前夜に、その子の夢にお父さんが現れて、テストを受けることを伝えていったそうなのです。

「お父さん、テストに受かるかな?」と私が聞いたら、
「うーん、分かんない!」と言い、その子とのその会話は終わりました。


なんだか非現実的に思える話ですが、その子にとっては、亡くなったお父さんとのつながりを感じた大切なエピソードだったのだと思います。
「死んだらどうなると思う?」という問いは、死んだらどうなるかを聞きたいのではなく、自分の話を聞いてもらうためのキッカケとしての問いだったようです。

その子にとっては、お父さんは天国に行くために頑張っているんだ、と思うことで、お父さんとのお別れに、少しずつ折り合いをつけているのかもしれません。


似たような出来事がもう一つあります。

別の子と一緒に遊んでいたときのことです。
その子もまたお父さんを数年前に亡くしているのですが、その日は、ヘビのぬいぐるみを使って一緒に遊んでいました。

はじめはヘビを投げ合ったり、引っ張ったりして遊んでいたのですが、ふとその子はヘビのぬいぐるみを掴んで、「ガブっ」と、私を噛ませる動作をしました。

その時私は、「あ、ヘビにガブってされた。ヘビにガブってされたらどうなっちゃうかな?」と聞きました。

その子は、「死んじゃうんだよ」と言いました。

私は、死んだふりをしました。そして、「これからどうなるの?」と聞くと、「エンマ様のところに行くんだよ」とその子は言いました。

「エンマ様のところに行くんだね。エンマ様のところに行ったらどうなるのかな?」と聞くと、

「生き返れるかもしれないんだよ。でも、課題をクリアしなきゃいけないの。」と言いました。

それから、その子はエンマ様になりきり、私にさまざまな課題を出してきました。

それは、部屋を走って一周することだったり、ジャンプをすることだったり、ボールでドリブルすることだったり。
何回も何回も課題をこなし、ようやくエンマ様の許しを得て、私は生き返ることができました。


…と思ったらまたヘビに噛まれて死に、課題を繰り返すこと2回。私はだいぶヘトヘトになってしまいましたが…(笑)

その子の作り出す世界に入り込み、体験することができた時間でした。



このように、グリーフプログラムでは「死」をテーマにした遊びが展開されることがよくあります。

ときに、「なんだか縁起の悪い遊びだなぁ…」とか、「ハッピーエンドの遊びにさせたい!」と思ってしまうこともありますが、そこはぐっとこらえて、子どもの遊びにとことん参加することが大事です。

死を安心して表現できること、それに付き合ってくれる人がいるという環境だからこそ、子どもたちは様々なことを表現してくれるのだと思います。


私たちは、その表現を邪魔したり誘導したり評価したりすることなく、受け止め、付き合います。

子どもがどのような心理でその遊びをしているかは、子どもにしか分からないことですが、それでいいのだと思います。子どもが知ってほしいと思ったら、自ら伝えてきます。

子どもは自分の気持ちに対処していく術を既に持っています。それが「遊び」なのです。
だから、私たちは安心・安全な環境を作って、子どもの遊びに付き合うだけで、子どもは自然と自分の気持ちに対処していきます。


これからも子どもたちの力を信じて、安心・安全な環境を作っていきたいと思います。
子どもグリーフサポートステーションは、大切な人を亡くした子どものための「グリーフプログラム」を開催しています。
それは、大切な人を亡くし、グリーフを抱えた子どもたちが、ともに遊んだりおしゃべりしたりすることで、「ひとりじゃない」と感じることのできる場です。

グリーフプログラムでは、子どもたちの「遊び」をとても大切にしています。
なぜなら、子どもたちは「遊び」を通してグリーフを表現しているからなのです。
今回は、その「遊び」について書きたいと思います。



子どもたちは「遊び」を通してグリーフを表現すると書きましたが、なぜグリーフの表現方法が「遊び」になるのでしょうか。

グリーフは、喪失体験に伴う悲しみや寂しさ、怒り、愛おしさなど、すべての感情のことを言います。

例えば身近な人と死別したときに、悲しみや寂しさを感じることはもちろん、生前いっしょに過ごした楽しい記憶が呼び起こされたり、また会いたいなと愛おしく思ったり、心にぽっかり穴があいたように感じたり、もっとこんなことしてあげればよかったな…という後悔や罪悪感があったり。

そんなことも全て含めて、グリーフなのです。


大人の場合、これらの気持ちを友人や家族に話したり、ブログや日記に思いをつづったり…ということができると思います。(全てではありませんが。)

しかし子どもは、大人のように言葉による表現が上手ではありません。
ではどのように表現するかというと、身体を使って表現するのです。



米国ハワイで子どものグリーフサポートを先駆的に行うKids Hurt Too Hawaiiはこのように言っています。

子どもたちはグリーフを身体の中の感覚として受け止めます。それを行動や態度で表現します。子どもにとっては話すことではなく、行動で表現をすることでコミュニケーションを図ろうとするのです。
(下線部は、Kids Hurt Too Hawaii「Grief Education for Children and Ohana」より引用)


例えば、ある子どもは、お母さんとケンカをした直後にグリーフプログラムに参加した日、「火山の部屋」でひたすらサンドバッグを叩き付けていました。

ある子どもは、「こっちにこないで」と誰も寄せつけず、1人で静かに過ごしていました。

ファシリテーターにおんぶをしてもらい、スキンシップをとりたがる子、やわらかいぬいぐるみを集めて埋もれている子などもたまにいます。

これらも、子どもの気持ちが行動となって表れていたのかもしれません。



子どもの気持ちは、「遊び」にも表れます。

子どもは、心の中を遊びやゲーム、工作などを通して表現するのです。ですので、子どもたちにとってはこのようなアクティビティは癒しにもつながるのです。


ある子は、ぬいぐるみを使って、死んだ人が死後の世界へ行くというストーリーを作って遊んでいました。

またある子どもは、ブロックを使って家を作り、そこに理想の家族をつくって遊んでいました。


このように「遊び」を通して、子どもは自分の気持ちと折り合いをつけているのだと思います。



また、このようなこともあります。

衝撃的な喪失は子どもたちにとってどうしようもないほど、無力に感じるものです。ところが、遊びを通して自分の中にある力強さと世界を意のままにできるんだという感覚を取り戻します。そして、それはストレスを解消してくれるのです。

例えば、ヒーローごっこ。
ヒーローになりきって、怪獣をやっつける遊びは、子どもが力強さを実感することのできる遊びです。
(このとき、ファシリテーターはだいたい「やられ役」になります…。笑)

喪失体験は、子どもにとってどうしようもない出来事で、無力感を感じてしまいやすいものですが、このように自分で状況をコントロールすることのできる「遊び」を通して、自分に主導権を取り戻していくのです。


子どもたちは自分の中の葛藤を表現するのにふさわしい遊びを選ぶものです。遊びの中で、子どもたちがのびのびと自分を表現できるような選択を与えてあげてください。


なので、グリーフプログラムでは子どもたちの「主導権」を大事にしています。
主導権が子どもにあれば、子どもたちは自ら、自分の気持ちにあった表現方法を選ぶことができます。

子どもたちと一緒に遊ぶファシリテーターは、子どもの遊びに対し、指示したり、誘導したり、評価したり、解釈したりすることはありません。
ただ子どもに寄り添い、子どもを映し出す鏡になります。

そうすることで、子どもたちは力を得て、日常生活に戻っていけるのだと思います。





※文中の下線部は、Kids Hurt Too Hawaii「Grief Education for Children and Ohana」より引用しました。