ドアの前にたたずむと、室内の嬌声がかすかに聞こえる。
そのほとんどがS子の見知っている、中年以上の女性。食欲と知りたい欲そしてしゃべりたい欲を満たそうとやっきになっている。若い女性はとてもとてもここには入り込めない。もっぱら自前のデスクの上での食事となっている。
むろん男性も入室可能だがあえて入ろうとする男性はいず、ときたま、何か魂胆があって若い男がご機嫌取りにうかがうことがある。
S子はうっうんっと咳ばらいをひとつしてから、つかつかと歩き、窓際にすわった。
「ねえ、S子。ひとりでいないでたまにはみんなと交われば。いってみれば同期じゃない」
「いいのよわたしは。ひとりでいたい気分なの。ごめんね」
外をながめて食事をとっていたB子のとなりに行き、
「ここ、いいかしら」
「ああ、いいわよ。空いてますからどうぞ」
「ありがとう」
半ば開いた窓から、ひんやりした風が入り込んでいる。
「寒いけど気持ちいいわね」
「うん、わたしこういうの、好きなの」
今朝忙しくて、弁当を作ってくる時間がなかったのだろう。
B子は、最寄りのコンビニで買ったらしいパック入りのコンビニ弁当をひろげ、その中の小さめのハンバーグを箸でつまんでは口に入れていた。
「これ、わりとおいしいわよ。たまに食べてるの」
ふいにどっと笑い声があがった。
「ええ、この事業所のホープ、ワタセが参りました。ツネヒコの義きょうだいです。ここでお昼いっしょに過ごして大丈夫でしょうか」
「はあい」
誰からともなく、元気のよい返事があがった。
「ねえねえ、じゃあ、何かひとつ面白いことやってよ」
「じゃあ、いつものようにものまねをひとつ。当事業所の誰かさんのマネです。わかった方は、大きく右手を挙げてくださいね。決してパワハラとかセクハラにはなりませんのでご心配なく」
「はあい、はいはい」
ワタセツネヒコなるもの、本名は渡部弘之。芸事が好きらしく、あちこちのオーデションに応募しては、たちまち落っこちるを繰り返してもうすぐ三年、そろそろ受かっても良さそうである。事業所の女たちの見る目が熱い。
B子はまた始まったかと渡部の寸劇に興味を示さない。茶系の小さいふろしきに包まれた丸い弁当をひろげ、卵焼きをつまみだした。
S子は渡部に関心があるらしく、時折、首をまわす。
「ええ、これでおしまいです。誰のものまねか分かった人、手をあげて」
室内がシーンと静まる。みなは誰のマネだかすぐに了解したらしい。今、そのご
当人がこの部屋にいるようだ。
「なによう、ほかのないの。コロッケみたいにもっともっと、やったら」
命令口調で、男勝りの総務のD係長が言う。
「やれ、やれ、やあれ」
幾人かが両手をたたいて催促する。
「もうかんべんしてくださいよ。おれだって飯食いに来たんだし」
「よし、許してやるから、おれにそばに来い」
渡部が食べだしてすぐに、
「わっ、やめて。そこって……」
と悲鳴をあげた。
「だまってろ。みんなが誤解するだろ」
「へえ……」
なにやら、D係長の右手が、テーブルの下で変な動きを繰り返した。
そのたびに顔を真っ赤にした渡部のからだが縮んだ。
S子はふんと鼻で笑うと、目線を窓外の景色に向けた。
酒屋のスーパーわきの自販機のあたりに人だかりができている。
小さな子ばかりすわりこみ、何かを観ている。
(ジュリアンだわ、きっと……)
保育士らしい若い女性が、彼らのまわりに注意を払っているのが分かる。どこかの園児らしい。そろいの帽子に紺の園児服を身に付けている。
S子が目をみはった。
見覚えのある男の子ひとりいたからだ。立ちんぼの彼の可愛い口から、何やら舌足らずの言葉を放っている。
ついにはラジオ体操よろしく、両手を大きくあげると、左右に振ったりまわしたり、次には小さな靴でステップを踏んでいたかと思うと大声で唄い出した。