星が輝いている。

 月は出ていない。

 村は暗闇の中である

 村はずれに小さな公園があった。

 樹齢四百年のしだれ桜が立っている。

 周囲の暗闇が淡い紅色に染まっている。

 午後十一時を過ぎた。

 浩はベッドにいる。

 容易に値付けない。

 枕もとの電気スタンドの灯りをつけた。

 ミステリーの文庫本をひろげる。

 容易に読み進めない。

 登場人物になじめない。

 風邪をひいたんだろうか。

 どうも調子がわるい。

 からだの奥がざわざわと波立つ。

 頭髪の地肌がかゆい。

 爪でかきむしる。

 ちょっと散歩するか。

 服を厚く着こんだ。

 そっとお勝手のドアを開ける。

 夜気が入り込んだ。

 ぶるっぶるっと震えた。

 歩きはじめる。

 森閑としている。

 浩の靴音が辺りに響く。

 うおおおん。

 山犬が遠くで鳴いている。

 村はずれまで来た。

 大川沿いに小公園がある。

 児童用の遊戯が見える。

 一本のしだれ桜が川の土手に立っている。

 八分咲きである。

 木の下にベンチがひとつある。

 近寄ってみた。

 はっとした。

 髪の長い女性が一人、背中を見せてすわっている。

 着物を身にまとっている。

 変だな。こんな時刻に女ひとりでいるなんて。

 夫婦喧嘩でもしたのだろうか。

 怒って家を飛び出したんだろう。

 頭を冷やしている。

 怖いのも忘れているんだろうな。

 真っ暗闇である。

 気にかかった。

 声をかけてみる。

 「もしもし、もしもし」

 返事がない。

 前にまわって、彼女の正面に立ちたい。

 そんな誘惑にかられた。

 ためらった。

 余計なお世話だ。

 他人の出る幕ではない。

 「あのう」

 長い髪が揺れた。

 顔が横向きになった。

 それだけだった。

 浩の吐く息がしろい。

 女の口の辺りに白いものは見あたらない。

 突然ふわっと立ち上がった。

 背中を見せたまま、公園の奥に消えた。

 浩は家にもどった。

 そう思った。

 台所に灯りがついている。

 お勝手のドアを開けた。

 「あなた、こんな時間にどこへ行ってたの」

 「散歩だよ。眠れないんだ」

 「他人が見たら、怪しまれるよ」

 「まあそうだが、大川沿いを歩いて来た。ポケットパークまで」

 「まあ、そんなに遠くまで」

 「不思議なことがあったんだ」

 「どんなこと」

 「ベンチに若い女がすわっていた」

 「こんな時間に。あなた夢でも見たんじゃない」

 「いや、たしかに見た」

 「どんな人だった」

 「わからない。背中を見せていたから」

 不意に台所の灯りが消えた。

 真っ暗だ。

 「けいこ、恵子、どこだ」

 返事がない。

 「ここよ、ここ。あなた、こっちへ来て」

 恵子の声ではない。

 地の底から響いてくる。

 ごっつん。

 浩は何かにつまずいた。

 目の前が少し明るくなった。

 桜の花がうっすらと闇夜を照らしている。

 浩はまだ、小公園の墓地にいた。

 墓石につまずいたのだ。

 急に浩は寒気を感じた。

 (了)