昨年の夏は、祖母の新盆という大切な節目だった。しかし、親交の深かった叔父の訃報が重なり、気持ちを整理する間もないほど慌ただしく過ぎ去っていった。その後も父の大動脈瘤の手術、さらには癌の発覚と切除手術。幸いにも奇跡的に命をつなぎ止め、こうして今年も一緒にお盆を迎えられたこと自体は、本当に有難いことなのだと思う。
だが、命拾いをした父を見ていて、複雑な思いが込み上げるのも事実だ。現実として代替わりの時期が来ているのは誰の目にも明らかなのに、父本人はまだまだ諦めがつく様子がない。動けぬ体と裏腹に、主導権を手放したくないと言わんばかりの行動に、もどかしさとジレンマばかりが募る。さらに母は母でどこか他人事。自分では何ひとつ手伝わないくせに、口だけは一人前に挟んでくるのだから手に負えない。
本家の伝統や行事を守り、未来へ繋いでいく立場として、この状況はただただ重荷でしかない。「いい加減、自分のやり方で引き継がせてくれ」というのが本音だ。
そしてその重荷を感じるたび、頭を過ぎるのは自分の息子のことだ。いずれ私がこの役割を長男へ渡す日が来る。その時、今自分が抱えているような理不尽なストレスや時代に合わない負担を、そのまま息子に背負わせることだけは絶対に避けたい。形を簡略化し、時代に合わせて無理のないやり方に変えていくことは、自分がやり易くするためだけでなく、将来息子を守るためでもあるのだと痛感する。
どこにでもある、ありふれた後継者問題なのかもしれない。けれど、親との板挟みに悩みながらも、自分の代でしっかり仕組みを整え、次世代へスマートにバトンを渡せる土台を作りたい。
腹を括って、成るように整えていく。自分と息子の未来のために、長男としてこれからの実家と向き合う覚悟を再確認したお盆となった。



