他者という鏡 | おかえりなさい。 〜豊かに、丁寧に、美しく。

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メールセッションと営業所事務の二刀流。ここでは心に移りゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつくっております。あなたの美しさ、見せてください。

先日もracco-hyさんのブログ記事をリブログしたが、
またリブログ。

現在、自分をより理解するための材料集め中で、
その一環でみずがめ座について探求中なのだ。
racco-hyさんのみずがめ座観が、なんていうかしっくりくるというか…
ああそうだったんだな…と目が開かれる感じになることが多くて。



私が先日の佳奈さんのグループLINE同窓会で安心して自分をひらくことができ、
また『こういう場を作りたい』という夢の種のようなものができたのは、
まさに、
リブログ記事にあるような『仲間』の存在あってこそのことだったのだなと思った。

私、太陽と金星がみずがめ座なものでね。






みずがめ座って実は自分がわからない、
的なのは、すごくわかる。
というか、
他者の力になりたいと思い、そのように動くと、簡単に自分がお留守になってしまう。

まあ私も現職に就いてはじめて気がついたんだけどさ(汗)
今までもそうだったと思われるのだが、全然気がつかなかった。
そのくらいお留守になってしまうのだな。

けど他者から見たら『自分を持ってる』という感じだったりするようで、
えっ?
という感じなんだけど。

みずがめ座は多分、
他者を見て相対的に自分の立ち位置をはかっていくのだと思う。
また、他者を鏡として自分を見ていく。
だから、他者の存在が不可欠なんだよね。

ただ、
その他者という鏡がよく見えなかったり、私の姿を正確に反射してくれなかったりすると…



みずがめ座をあらわす言葉として
『ひとりはみんなのために、みんなはひとりのために』
という名言がとある本で紹介されていた。
誰の著書だったかなあ。

自分が放つ光が他者を輝かせ、
他者の光がまた、自分をより輝かせてくれる。
そんな世界を割と本気で信じ、願っていたりする。



だからなのかどうなのか、
獅子座的な『私を見なさい』的なことを自分がするのは苦手だなあ。
多分、必要な要素なのだろうけど。
みずがめ座の反対側(180°)にあるのが獅子座なので。
そして個人的に、私がホロスコープで持つTスクエアのアスペクト、グランドクロスになりそこねた足りない要素が獅子座なんだよね。

でもね…

やっぱ『別に私を見なくてもいいんだよ』になっちゃうなあ(汗)



時代はいつのまにか、くっきりとみずがめ座の時代に突入しているし、
(昨年辺りから顕著ではありませんか?)
自分がより楽に生きていくためにも、
しばらくみずがめ座の探求は続くのだった。



* ・ ・ * ・ ・ *




上記のリブログ記事にあったやり方で、
手のひらを胸に置いてエネルギーを感じてみた。

なんか本当に、
右手を置いた時には胸の真ん中にじんわ。ふんわりと光が広がっていくような感じがしたし、
左手を置いた時には何かが左手に吸い込まれていくというか左手のほうに集まっていくというか、そんな感じがした。

おもしろかったのでぜひお試しを。



程度やレベルの違いこそあれ、
本当はみんなヒーリングとかできるんだろうなあ。

まあ、そういう訓練を積んだ人にやってもらうほうが気持ちよかったりはするのだろうけど。

…実は私、マッサージだとかヒーリングだとかであまり『あーすっきりした』とはならない。
なんか力が抜けて、だるい感じになる。
だから正直「そんなに気持ちよくないかも…」と思ってしまうこともある。

けどそれって、
私が普段いかに無意識で緊張しているか
とも言えるね。
力が抜ける感じに慣れていない(汗)




猫は脱力の天才。



今日も美しい一日だった。
明日はここ沼津でも朝は雪が降る予報になっている。
寒さは身にしみるが、雪は美しいと思う。
まあ、雪がごくまれにしか降らない地域だからいえることなんだろうけど。

皆さまくれぐれもあたたかくしておすごしくださいませ。



お読みくださいましてありがとうございます。