「家族が病気を理解してくれない」


「家族がプレッシャーをかけてくる」


ありますよね、どんな病気でもあります。これは患者側の声ですが、今回はご家族向けにお話ししたいと思います。

家族が病気になると不安

わたしは患者本人でもありますが、医療従事者でもあり、家族が病気になったこともあり、…と、それぞれの立場をある程度経験してきました。


性格や感じ方には個人差があるので「だからどの立場の人の気持ちもわかります!」とは言えません。けれど、たいていの場合こうなる、こうすると多少ラクだというパターンは知っています。


わたしたちが病気になってうろたえるのと同じくらい、家族のあなたもうろたえていると思います。


最初は、よくなるんだろうか、この先の人生どうなるんだろうかとオロオロとするかもしれません。それが一番一般的で普通の反応です。

家族が病気でもかける言葉が見つからないのが普通です

さらに、発症から年月が経てば経つほど、なんでよくならないの?まじめに治療してるの?ダラダラ寝ているばかりで運動しないからよくならないんじゃない?と、だんだん焦ってきませんか。


でもそれは、よくなってほしいという気持ちがあるからこその焦りなのですよね。


慢性疲労症候群のように決定的な治療がないまま、病気がよくならずに年数が長くなると、病気がよくならないのは家族である自分の接し方や手助けが悪いか足りないのではないかと自分を責めてしまう方も多くいらっしゃいます。落ち込んでうつ状態になる方も少なくありません。

家族が病気だとイライラするのは自然なこと

家族の誰かが病気になると様々なことが一変します。


毎日の暮らし、少し先の予定、将来の人生設計…それらがガラガラと音を立てて崩れます。


患者も「なんでわたしがこんなことになったんだろう」と思いますが、ご家族も同じように「なんでこんなことに…」と思うのが自然です。そう思う自分を責めないでくださいね。


「今までならこんなふうにできたのに」と思うことを変えていかなければならない。これも大変なことです。慣れた生活のリズムや習慣を変えるのは健康な人にとっても大きなストレスです。


また、どんなに仲の良い家族でも、年がら年中同じ空間で顔を突き合わせていてはうまくいきません。


世話をする、されるという関係になったのなら、なおさらです。


それらすべてを含めて、ご家族がイライラするのは自然な反応です。

難しいけど、家族は家族の人生を生きて

わたしの患者としての思いは、手助けは欲しいけれど、犠牲にはなってほしくないということ。


患者が最低限何をしてほしいのかを押さえた上で、物理的に離れる時間を定期的に持つことをおすすめします。


家の外に出ることも大事です。


…なんて、ほとんど家の中にいるわたしが言うのもおかしいですね。慢性疲労症候群の患者はなかなか外出できないので患者側から家族と距離をとるのは難しい。だからご家族のほうで外に出ていただくと、お互いにガス抜きできて助かるなあと勝手ながら思っています。


わたしでも、受診の日などに一歩外に出て、おひさまの光を浴びて、風にフワッと吹かれて、新鮮な空気をからだにスーッと吸い込むだけで気分が変わります。ついでにドトールなんかでコーヒーを飲むともっと良い気分になります^^


「家族だからそばについていなきゃいけない」と必要以上に思いすぎず、可能な限り患者から離れてご自身の時間や場所を持っていただけたら、と思います。

慢性疲労症候群との鑑別診断で何かと取り沙汰されるのがうつ病です。

慢性疲労症候群の客観的診断基準の確立は患者の悲願

こんなツイートを見ました。


https://twitter.com/cfs_kakusan/status/1090511835533475840


なるほど…。

《原因は仕事、家事、育児、介護など 複合的なストレスが重なった上に…》


とあるのに


《うつ病の可能性があるので心療内科を受診


それでも「原因が分からない」場合


→慢性疲労症候群の可能性がある》


という流れが混乱を招くのですよね。


1日も早く客観的な診断基準が確立される事を願います

元の記事はこちらです。



2019年1月30日(水)の放送内容
けさのクローズアップ
推定患者30万人!慢性疲労症候群


こういう記事は消えてしまうこともあるので全文引用させていただきますね。

Q:症状は?


健康に生活をしていた人がある時期を境に極度の疲労によって
それまでできていた社会生活が送れなくなる。


微熱、関節痛、頭痛などインフルエンザのような症状が続く。


「筋痛性脳脊髄炎」という病名で呼ばれることもある。


Q:原因は?
仕事、家事、育児、介護など 複合的なストレスが重なった上に
感染症を引き起こすことで(脳がダメージを受け)発症してしまう。


脳のダメージが回復しない。


【患者層】


・65%が20代~30代。
・男性より女性が2倍多い


◎国内では推定30~40万人!
◎特定する検査がまだ確立されていない


まずは内科!
→甲状腺の病気、リウマチなどを検査


「異常なし」となった場合
→うつ病の可能性があるので心療内科を受診


それでも「原因が分からない」場合
→慢性疲労症候群の可能性がある


【5項目以上が6ヵ月続いている時は慢性疲労症候群と診断】


・疲労感  ・筋肉痛
・微熱   ・関節痛
・頭痛   ・睡眠障害
・喉の痛み ・思考、集中力の低下
・筋力低下 ・首のリンパ節の腫れ


◎睡眠の質に問題がある


寝ても疲れが取れない、回復しない状態が続いている


Q:治療法は?
・睡眠を改善する薬
・痛みを和らげる薬
・少しずつ動けるようリハビリ


場合によっては回復までに月単位、年単位必要。


一番の予防は疲れをためこまないこと!


脳が回復しなくなると慢性疲労症候群になる可能性が・・・


動きたいのに動けない、寝ているのに疲れが回復しない。


1ヶ月以上になる場合は受診を!

引用元:おはよう朝日です けさのクローズアップ 推定患者30万人 慢性疲労症候群


わたしは妥当な内容だなと思いました。


引用したツイートにある「1日も早く客観的な診断基準が確立される事を願います」は患者皆の悲願ですよね。


客観的診断基準があれば、診療してくれる医師は増えると思います。


今の、除外診断でしか体調不良の原因を狭めていけない現状では、医師は「とても責任を取れない」のですよ。だから診療できないというのが慢性疲労症候群の受診先が増えない要因だと思います。

慢性疲労症候群疑いの患者だけがうつ病を疑われるわけではない

話を戻しましょう。


除外診断で進めていく場合、症状の似ている「甲状腺の病気、リウマチなどを検査」して、それらの身体疾患ではないことを確認します。慢性疲労症候群の診断基準でも鑑別すべき疾患が挙げられていますね。その時点でそれらの疾患でないことを確かめる。それしか今は方法がないからです。


そして、どうやら内科的な原因が見つからないねえ…となれば「うつ病の可能性があるので心療内科を受診」(心療内科よりも精神科のほうがよい場合もありますが)に進むのは、ごく一般的な流れです。慢性疲労症候群に限らず、他の疾患でも同じ流れで除外診断を進めていきます。


うつ病と一言に言ってもその症状の出方は様々です。精神症状が全く表に出ず、身体症状が先行する仮面うつ病もあります。精神症状が出ている場合でも身体症状が強い場合もあります。患者本人は「まさかうつ病だなんて」と思いもよらないことがよくあるのです。


慢性疲労症候群だけがうつ病を疑われるわけではないことを知っておいてください。

うつ病か他の病気かの経過観察は必要

うつ病の方も重症化するとほとんど寝たきりになります。着替えや入浴が困難になるだけでなく、食べられない、トイレにすら行けない人もいます。身の回りのことができなくなる人は多いです。


うつ病で、抗うつ剤などの処方を受けても短期間で改善する人のほうが少なく、何ヶ月も、たいていは年単位をかけて少しずつ良くなったりまた後戻りしたりします。だから短期間で医師の診断が正しいかどうかを判断することができません。


しかし、精神科でうつ病などの診断を受けて治療も受けていたけど、のちに慢性疲労症候群とわかったという方もいらっしゃいます。


慢性疲労症候群のような症状が続いていて、うつ病の治療を受けても改善しない場合は要注意です。


どう注意するといいかというと、これはわたしの考えに過ぎませんが、「うつ病では出るはずのない症状が出ていないか」ということが一つの目安になるのではないでしょうか。


例えば筋力の明らかな低下や、著明な起立性調節障害などはうつ病ではあまり起こりません。


そういった症状が複数出て一定期間続くようであれば、総合内科や神経内科などを受診してみて新たな異常がないかを根気よく観察して、その都度、精神科以外の診療科で相談していくのがベターかと思います。

秋冬はしんどいです。


10年前くらいから寒い季節が苦手になりました。それまでは梅雨どきのほうが苦手だったからまた変わっていくのかもしれない。慢性疲労症候群とひとことで言っても症状の内容や出方は年々変わりますね。


わたしの病歴は20年前後になります。


それまで健康優良児だったわたしは、医学を学んで「世の中にはこんなにたくさんの病気があるのか!」と驚き、病理学の講義を受けながら「今健康に生きていられることはほんとうに奇跡なんだ」と痛感した記憶があります。


だから自分もいつか、けがを負うか病気になる、必ずなると思って働いてきました。


そう思っていたら、いざ病気になっても冷静に受け止められたんじゃない?と思われますか?


そんなことないです。


「うわー、来たかー」とは思ったけれど受け止める、受け容れることは難しかったです。


なんとか前を向こう、何かわたしにできることをしよう。


そう思っても何かの拍子に気持ちは巻き戻る。なんでこんなんなったんやろ、くっそー、ぜいたくは言わないからさ、もうちょっとだけでいいから良くならないかな。


その一方で、


あの仕事をしていたわたしだから、この病気を得たわたしだから、家族の闘病を見守った経験のあるわたしだから、こんな趣味を持っているわたしだから、こういうことに興味のあるわたしだから、…


「だからこそ、できること」


がある。はず。


病気になっても、なったからこそできることがあるんじゃないかな。


…と何度も考えたりして。ごく最近まで「くっそー!」と「何かできることがあるんじゃないか」を行ったり来たりしていました。


ものごとや体験はとらえようで違う、と言われます。わたしもそう思います。


でもわたしは良いようにとらえるなんてできないときがありました。


あがいた、あがいた。いや、現在進行形であがいてる。ガハハ。


だからね、アナタもいいほうに考えなよ!なんて、とてもとても言えません。


違うとらえ方ができるようになるのは、もうそれが問題ではなくなったとき、跳べないハードルでなくなったとき、


…だと思うんです。


外野にいる人が「ものごとは考えようだよ、とらえようだよ」と言うのは、善意からであっても「今のその考え方やとらえ方じゃダメだよ」「そんなあなたはダメだよ」と、その瞬間の相手を否定しているのと同じことになってしまいます。


だって、考えよう、とらえようだ、そんなこと、みんなわかっている。


わかっているのにできないから苦しんでいる。なのに、なんでみんなそんなに説教くさいこと言うのかな。なんてね。


外野にいる人も、苦しむその人をつらくて見ていられないからこそそう言って解決を急いでしまうのでしょうけれど、


ときを待つ、ってことも考えないといけませんよね。


自分が外野になったときに、ときを待ちながら、環境を整えるお手伝いをする、そうありたいなぁと思いながら、わたし自身もまだまだあがく日を過ごしています。