もう声について書くのは3回目かな。
チームメイトの声の少なさに関してはものすごく不満を抱いていたのだが、
色々調べていくうちに、「声をだす」ってことは、できない人にとってはできない、
ださないのではなく、だせない、ということが段々わかってきて、
なんだか苛立ちの対象にならなくなってきたんですわ。
声をだせない人間は、そういう訓練を、練習をしてきてないし、
そもそも大声をだす癖がついていないのだ。
ユースレベルの教育現場をみてもわかるとおり、普段の挨拶から
しっかり大きな声をだそう、、みたいな対策しかこれといってないのだ。
そりゃ練習のパス回しの際に、受ける側ではなく、出す側が受け手の名前を呼ぶ、
っていう練習もあったりするんだが、試合前の練習にそれを皆にやらせるのが
ちょっと恥ずかしい。この恥ずかしいと思うことが恥ずかしいことなのか。
これは難しい。
要するに「声だし」はスキル、でありテクニックのひとつ。
「エラシコやれー」 っていうのと 「声をだせー」というのは同じで、
いくら言われたところで、できない人にとっては絶対にできないことなのだ。
自分なんかは、守備の際に味方がイビツなポジションをとっていたり、
つり出されたりすると、その異常さに気づく。攻撃のときもそうで、
パスが絶対こない場所で待ち構えていたりする人間をみると、
必ず一枚さがれとか、もっと中によってくれとか指示をだす。
マークの確認だってそうだ。異常に気づくから、修正の指示をだすことができる。
別に自分を褒めているわけはない。
自分が声をだせる理由はそういうことなんだろうなあと感じている。
よく大きな声で挨拶するし。
そういう意味じゃ、いい先生に教わることができたなあ・・・・。
挨拶は全ての基本、って精神面だけじゃなく、プレーの面でもそう。
普段からボソボソいってる人間が、ピッチで人格が変わるわけでもなし。