夫が急にスキューバダイビングに行こうと言いだした。

私は、「綺麗な海には行きたいけど、もうダイビングの仕方忘れたよ~」


私達は、ダイビングのライセンスは持っているものの、完全なペーパーダイバー、夫は、ライセンスを取ったダイブショップに連絡して、ペーパーダイバー講習の予約をしている。


講習をした海は、伊豆の富戸というところで、お世辞にも海が綺麗とはいえないところだ。


なんとか、ダイビングの仕方を想い出して、帰ってきた。


そして、次の週に沖縄へ。


何度か、潜ってるうちに慣れては来たけど、私はタンクの空気の消費量が多い。


そして、水深40メートルまで潜って、戻る途中に、タンクの空気がなくなった。空気がなくなるのは、空気の残量を示すメーターで、もう空気がないと確認できるので、インストラクターの一人に空気がなくなりそうだよと、身振りで知らせた。OKとのことだったけど、行動には移らない。

 

そうしたら、いきなり空気がでなくなった。出る空気の量が少しづつ減ってくるのではなく、ピタッと切れるのだ。


私は、インストラクターに空気がきれたと身振りで知らせた。


インストラクターは、すぐに、レギュレーターという空気を吸う予備の器具を貸してくれた。


ダイバーは、皆、レギュレーターを2つ付けて潜っている。ひとつが壊れても大丈夫なようにと、空気切れの人を助ける為だ。


その予備のレギュレーターが壊れていた。

私は、苦しかったけど、これ、駄目駄目と身振りで知らせて、インストラクターのレギュレ―ターを借りて息を吸って、また、インストラクターに返す。


この繰り返しで、海上に上がった。


インストラクターは、「パニックにならないで立派でしたよ。」と褒めてくれた。


他の人達は、途中で海上に上がっていった私達のことを、どうしたんだろうくらいにしか思っていなかったようで、皆、空気切れの話を知ってビックリしていた。


緊急時の対処は、講習の時に勉強したし、実際にプールでも練習したから、その通りにしただけだ。


5日間の滞在で、1日に2回潜って、最後の日は、海辺でボーッと過ごした。


沖縄の海は、とても綺麗。


その年は、4回、沖縄通いをした。



今日は、トマトを大量に頂いてしまった。とても食べきることできないので、トマトソースを作った。3時間位かけて出来上がったソースをジップロックに小分けして熱が取れたら冷凍する。出来上がりの量は1000cc入る袋22袋分。


それから、茄子とズッキーニを庭の菜園から収穫してきて、昨日頂いたキャベツ、冷蔵庫の中にある野菜を入れて、ミネストローネを作る。これも冷凍、明日、クール宅急便で、東京の友人達に送る。


今夜は、冷房を効かせてミネストローネを美味しく頂いた。


明日は、ジャガイモのスープ作りだ。

この暑い時期に、冬の話は合わないけど、回想記なのでお許しを。


年末になり病院の外来診療も終わり、院内は、休日モードになった。

夫は、相変わらずの寝たきりだが、ベッドを40度位の角度まで上げられるようになったので、食事は、串刺しの惣菜から、普通の惣菜に変わった。


食事の時だけは、ベッドの上半分の部分を40度位上げるけど、すぐに痛くなるので、15分位で元に戻す。


外来の最後の日には、コルセットの採寸をしてもらったけど、脇から腰までを覆う大きなコルセットになりそうだ。

この採寸、寝たままでは出来なくて無理やり起こして、夫は苦しそうで見ていても気の毒だった。


大晦日の夕食は、病院食とは思えない豪華な食事が出てきた。夕食後は、友人とSKYPEで、バカ話しをして楽しんだ。私は、午後8時まで病院にいて家に戻ってきた。


普段は、午後9時に消灯の病院だが、夫は、12時までなら、TV見ていてもいいとの許可を貰って、TVを見ていたそうだ。


考えてみると、一人で新年を迎えるのは生まれて初めてだ。


家に帰ると私を哀れに思った友人達から、電話が来たので、SKYPEに切り替えて紅白の歌手の批評をしながら長話をしていたら、お正月になった。