この言葉にはウチナーンチュの情念が込められていて今後もなくならないだろう、いや、なくすべきではない、という積極擁護、推進派もかなりの数、存在する。「本土」という言葉は確かに鹿児島以北を単一としてとらえていて、その中の多様性を見えにくくしているが、それはそれでいいという考え方だ。鹿児島も島根も新潟もそれぞれ違った地域性を有しているのは事実である。けれども、沖縄から見た場合、風俗習慣、あるいは文化の面などで鹿児島以北をひとくくりにしてもそれほど不自然ではないという発想である。
ところが一方で、当事者の中には考え込み、悩んでいる人たちもいる。新聞に「ヤマトと呼ばないで」という見出しで次のような記事が載った。「『沖縄は観光客には優しいが、住んでみると厳しいところが多々ある』と以前から聞いていた。私か沖縄に移り住んで1年5ヵ月。この言葉を否定できない場面になんどか直面した清水由佳は十八歳で空手の聖地・沖縄に飛び込んだ。彼女は豊見城あずさ、嘉手納由絵とともに2004年の世界選手権団体形で優勝する。だが、帰国後、県の最優秀競技者に清水だけ選ばれなかった。県空手道連盟に登録していないことが理由だった。悔しくて泣いた。既に住民票を沖縄に移していた清水は(出身である)茨城の奨励金もなく、我慢してきたが。
3人で取った『金』を平等に評価されない現実に絶望し、住民票を茨城に戻した。清水は『次に来る子どもたちに同じ思いはさせたくない』と、そのたびに相手に伝えるようになった。私自身はどうか。孤独感を感じたり、『ヤマトと呼ばないで』と叫びたくなるとき、殻に逃げ込んでいたが、清水の勇気に触れ、私も意思表示していきたい」(「記者の余禄」・琉球新報・二〇〇六年三月二日)書いたのは「本土出身」で琉球新報社に入り活躍している深潭友紀記者。私にも似たような経験が数多くある。「本土」と「沖縄」、これは単に言葉の違いに留まらず、両者の間でいまも多くの人たちが様々な思いを抱いているのである。
記事が載った後、新聞社の読者相談室に電話が何本か入った。那覇市内に住む六十歳代の男性は「現役のころは県外の人たちと仕事をする機会が多かったが、今回の『記者の余禄』は、本土から移り住んだ人の悩みが、よくまとめられていたと思う。勇気を出して問題を提起した記者に、心からエールを送りたい」と告げていた。この男性も、この言葉に思うところがあるに違いない。沖縄の芸能は演じる側と観る側の垣根がなくなることがある。一方、本土の芸能はこれがはっきりしていて、その垣根は最初から最後まで明確に存在し、双方がその垣根越しに交流しているように見える。
沖縄の芸能にも垣根はあることはあるのだが、ある瞬間、さっと、取り払われる。演じる人が観る側に回り、この人がと思うような人がステージに立って踊ったり、弾いたりすることが珍しくない。そして両者が入り乱れ、溶け合う。沖縄の群舞、カチャー・シーがそれを象徴している。沖縄のことをもっと知りたい、見たいという人に、私は沖縄の結婚披露宴に顔を出すことを勧めている。招待状がなければ披露宴に出席することはできないが、会場の隅っこにでも立たせてもらえないかと頼めば、親戚や友人でなくても多分大丈夫だ。じっと見ていると沖縄の社会のありよう、人々の考え方、生活などが実によく分かる。