日本人は母性原理を基調にしながらも、適当に父性原理を入れこんでバランスをとっていることがわかる。たとえば、入学試験には相当な父性原理が入っているし、その他のことでも血縁を優先して社会の一般的ルールを破ることが少ない。このことが、日本が他のアジアの国に比して、いち早く欧米の文化を受けいれることができた要因のひとつであると考えられる。話はフィリピンから離れるが、血縁を基にする徹底した母性原理は、アジアの国々の近代化を阻む強い要因となっていると思われる。お隣の韓国は近代化に向けて努力を続けているが、よく知られているように韓国の同族意識は非常に強い。誰かが大統領になると、どうしても自分の一族を要職につけねばならなくなる。というわけで、なかなか才能によって人材を登用することが難しい。
それに反対する勢力は、もちろん大統領の非合理な行為を追及することになるが、自分がそれになり代わっても同様のパターンを続けることになってしまう。このことをどのように克服していくかは韓国の課題ではないか、と思われる。これは隣国から勝手に想像していることに過ぎないのだが。中国は少し様相を異にするようである。中国も血縁を非常に大切にする国である。国家などという単位ではなく、自分の属する「大家族」によって、自分の存在意義を考えているのではないかと思われるのが「文革」以前の状態ではなかったろうか。中国の人たちが国外に出ても安泰感をもちながら生きているのも、この「家族」による支え合いの強さによるものと思われた。
しかし、私か個人的に話し合った中国の人たちは、次のように語っていた。「文革」のときに政府が密告を奨励し、家族間にもそれが生じてお互いの信頼感をなくしてしまった。おそらくこれは、家族ではなく中国政府にアイデンティティの基盤をもたそうとした政府が意図的に、密告を奨励したのではなかろうか。したがって、中国人は頼るべきものを失ってしまって、しばらくは政府を頼みとするより仕方ない状況だった。しかし、最近になると、結局はまた「家族」を基盤とする生き方に徐々にもどりつつあるとのことである。これは、私か個人的に意見を聞いた、二、三の人の考えである。しかし、私には十分一般化し得ることのように感じられた。このことは今後の中国における重要な問題点になる、と思われる。
話をフィリピンのことにもどそう。フィリピンでアメリカ人や日本人に会って話を聞くと、フィリピン人は約束を守らない、と不満を言う人が多かった。約束の時間に三時間くらい遅れてくる。時には来ないこともある、と言う。フィリピンの人によると、何か約束があって行こうとしているときでも、昔の恋人にひょっこり出会ってなつかしく思うとそちらの方に時間を使ってしまう。そちらの方が大切だったり、面白かったりするからだ、とのこと。おそらく時計で計られる時間にやたらに縛られるのは父性原理に厳しいプロテスタントの倫理ではなかろうか。倫理の基準はひとつではなく、各文化はそれぞれの倫理観をもっているのだ。フィリピン人の時間の感覚も、人生を楽しくするためのひとつの方法だろうと思う。
ところで、フィリピン人の経済水準の差は実に大きく、途方もない金持もいるし、まったくお金のない人もいる。後者の人たちが住んでいる地区へも行ったが、ひとつ非常に印象的だったのは、子どもたちの表情が実に生き生きとしていることであった。トカゲをつかまえてふりまわしている子、コカコーラはIびん買うことなどできないので、小さい紙コップ一杯を買うのだが、それを飲んでいる子、それらの子はほんとうに素晴らしい顔をしていた。ところが、大金持の家庭に招かれていったが、食事や家具やら驚くほど贅沢にしているが、子どもたちの顔は、ぞっとするほどの無表情なのである。実はそれから何年か経って、日本にもバブルという時代が来たが、そのときに日本の子どもたちの表情がだんだんとフィリピンで見たお金持の子どもたちのそれに似てくるように感じたことがある。
自分たちの文化と切れて、借り物によって「豊か」になると、人間の感情は貧しくなるのだろうか。異文化をほんとうに自分のものにする、というのは大変なことなのではなかろうか。アジアの国々はすべて欧米の文化を取り入れ、今後も取り入れていくことになるが、その先どのようになるだろうかと思う。よほどよく考えていないと、昔話などによくあるように、悪魔にたましいを売ってたくさんの財産を得た人間のようなことになるのではないか、と思う。日本でも既に無表情、無感動の若者たちが増えているように思う。