「わたしに従ってきなさい」の聖句学習 -219ページ目

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

モーサヤ 23:10

にもかかわらず、わたしが多くの艱難を味わった後、主はわたしの嘆願を聞いて、わたしの祈りにこたえ、わたしを主の御手に使われる者にしてくださり、このように、あなたがたの多くに主の真理を知らせることができるようにしてくださった。

 

「耳を傾けて学ぶ」(英文)1991年4月、ラッセル・M・ネルソン、十二使徒定員会

耳を傾けるすべを身に付けるなら皆さんは祝福を受けるでしょう。そして耳を傾けて、子供、親、伴侶、隣人や教会の指導者から学んでください。それらはすべて至高者からの勧めを聞き分ける力を高めてくれるでしょう。

 

注意深く耳を傾けて、真理に導くあの静かな細い声、つまり聖なるみたまを通して、主から学んでください。列王上19:12; 1ニーファイ17:45; 教義と聖約85:6耳を傾け、主のみ旨と精神を記した聖典を勉強して、学んでください。ヨハネ5:39; アルマ14:1; アルマ33:2.)耳を傾けて祈りの中で学んでください。主は真心から主を求めるへりくだった人に答えを与えてくださるからです。モーサヤ9:18; モーサヤ23:10; アルマ9:26; 教義と聖約19:23; 教義と聖約112:10; アブラハム2:19

 

賢明な人は、耳を傾けて主に学びます。私は主が生きておられることを証します。「耳を傾けて主の声を聞く」なら、祝福が注がれることを証します。それは「主の来臨の時は近い」(教義と聖約133:16-17)ためなのです。イエス・キリストのみ名により申しあげました。アーメン。

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2024年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

モーサヤ23:9

しかし、ノア王と彼の祭司たちの罪悪を思い出してほしい。わたし自身もわなにかかり、主の目から見て忌まわしいことをたくさん行い、つらい悔い改めをした。

 

「大きな驚くべき愛」2006年10月、アンソニー・D・パーキンズ、七十人

第4は,永遠の命への希望を持ち続けることです。もし自分が過去に犯した罪,性格的な欠点,誤った決定などのために,神のすべての祝福を受けることができないと考えているならば,父アルマのことを考えてください。邪悪なノア王の義に外れた祭司だった若き日々を引き合いに出して,「わたし自身もわなにかかり,主の目から見て忌まわしいことをたくさん行い,つらい悔い改めをした」モーサヤ23:9 認めています。にもかかわらず,アルマは完全に悔い改め,キリストの贖いが無限であったために,アルマは預言者になり,永遠の命の約束を受けました。モーサヤ26:20 最善を尽くして従順になって悔い改めるなら,イエス・キリストの贖いと恵みによって日の栄えの王国に場所を得ることができるのです。テトス3:7; 1ペテロ5:10; 2ニーファイ2:6–8; 10:24–25; 25:23; エノス1:27; モロナイ7:41; 教義と聖約138:14

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2024年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

モーサヤ21:16

さてその後、彼らはその地で次第に栄え始めた。以前よりも豊かに穀物を栽培し、大小の家畜の群れを飼うようになったので、飢えに苦しむことはなかった。

 

「ふさわしさは完璧さではない」2021年10月、ブラッドリー・R・ウィルコックス、中央若い男性会長会

デイモンがどれほど長く苦しんできたかを考えると,支援する親や指導者があまりにも性急に「二度としないように」と言ったり,「ふさわしい」と見なされる立ち直りの基準を独断で設けたりするのは,助けにならず,非現実的でした。代わりに彼らは,小さな,達成可能な目標から始めました。成功か失敗かといった二者択一的な考え方を捨て,少しずつ成長することに焦点を当てたことで,デイモンは失敗ではなく成功を積み重ねることができました。 デイモンは,奴隷の状態にあったリムハイの民のように「次第に栄え」モーサヤ21:16ることができると学んだのです。

 

D・トッド・クリストファーソン長老はこのように助言しています。「大きなことに対処するためには,小さな日々の事柄を行う必要があるかもしれません。……新しい,健全な習慣を身につけたり,悪い習慣や依存症を克服したりするには,ほとんどの場合,今日努力して,明日も,その次の日も,あるいは何日も,何か月も,何年も,成功するまで努力を続けなければなりません。しかし,わたしたちはそれができます。……毎日必要な助けを神にお願いすることができるからです。」(D・トッド・クリストファーソン「日々の祝福に神の手を認める」『リアホナ』2012年1月号,28-29。「悔い改めという神の賜物」2011年10月も参照)

 

※ラッセル・M・ネルソン大管長は次のように語っている。「永遠の進歩において,この時点では,主はわたしたちに完全をお求めになりません。そうではなく,いっそう清くなるように求めておられます。」(「行いを改善し,より良くなれます,68;強調付加)

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2024年版(BOX)