足のうらから頭まで、
完全なところがなく、
傷と打ち傷と生傷ばかりだ。
これを絞り出すものなく、包むものなく、
油をもってやわらげるものもない。
「わたしたちの良い羊飼い」2017年4月、デール・G・レンランド、十二使徒定員会
聖文の至る所で,神は罪に対する比喩として病を用いておられるので,「わたしたちの比喩的な病,すなわち罪に直面するとき,イエス・キリストはどのような反応を示されるだろうか」と問うのはもっともなことです。結局のところ,救い主は「ほんのわずかでも罪を見過ごしにすることはない」(教義と聖約1:31)と語っておられます。そうであるなら,救い主はどのようにして,嫌悪を抱き,愛想を尽かして見捨てることもなく,不完全なわたしたちを御覧になっているのでしょうか。
その答えは簡潔かつ明瞭です。良い羊飼いとして,(ヨハネ10:11,14,アルマ5:38,教義と聖約50:44 参照)イエス・キリストは御自分の羊の病を,治療や世話,思いやりが必要な状態と見ておられます。わたしたちの良い羊飼いであられるこの御方は,病にかかった御自分の羊が癒しに向かって進み行くのを見ることに,喜びを見いだされるのです。
救い主は「牧者のようにその群れを養い」,(イザヤ40:11)「うせ〔ている〕ものを〔探し出し〕,迷い出〔ている〕ものを引き返し,傷つい〔ている〕ものを包み,弱っ〔ている〕ものを強く〔する〕」(エゼキエル34:16)と預言しておられます。背教したイスラエルは,罪深い「傷と打ち傷と生傷」(イザヤ1:6)によって弱り果てていると表現されていますが,救い主は彼らを励まし,熱心に勧め,癒しを約束されたのです。(イザヤ1:18参照)
